米国が1954年3月、太平洋マーシャル諸島・ビキニ環礁で行った水爆実験で被曝(ひばく)した静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」の元船長、筒井久吉さんが死去していたことがわかった。
東京都立「第五福竜丸展示館」によると、6月4日、名古屋市の自宅で老衰のため亡くなった。92歳だった。愛知県の佐久島出身で、水産高校を卒業後、マグロ漁に携わったという。
乗組員23人は帰港後、被曝が確認された。筒井さんは旧運輸省の東海海運局焼津出張所に提出した報告書で「上空から白色粉末が降って来た。乗組員の大半が食欲不振、頭痛を訴え、身体の各所に紫色の斑点またはやけど状の水ほうが発生した」と記していた。
半年後に無線長が死去、他の乗組員もがんなどで相次ぎ亡くなった。これを機に原水爆禁止を求める運動が起き、56年に日本被団協が結成されるなど、反核・非核運動の起点となった。同館によると、筒井さんの死去により、残る生存者は1人になったとみられるという。
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