東京電力(現・東京電力ホールディングス)で社長、会長を歴任した勝俣恒久(かつまた・つねひさ)さんが10月21日に死去した。東電ホールディングスが31日に発表。84歳だった。

2011年3月30日、質問に答える東京電力の勝俣恒久会長(中)=東京・内幸町の東京電力本店で

 2011年3月の福島第1原発事故時の最高責任者だったが、事故後、被災者らから対応の不誠実さを批判され、2012年6月に会長を退いた。  安全対策を怠り事故を防げなかったとして、業務上過失致死傷罪で強制起訴された。一、二審は無罪となり、検察官役の指定弁護士側が最高裁に上告し、審理が続いていた。  一方、株主代表訴訟では他の旧経営陣とともに計13兆円余りの支払いを命じられ、控訴審で審理が続いている。   ◇   ◇

◆法廷で…被災者への思いや、事故に向き合う姿勢を感じず

「記憶にありません」
「知りません」
「技術的なことは分かりません」  2018年10月、東京電力旧経営陣が福島第1原発事故の刑事責任を問われた強制起訴公判の被告人質問で、東京地裁の証言台の勝俣恒久元会長はひとごとのような発言に終始した。世界最悪レベルの事故をなぜ防げなかったのか。事故当時の最高責任者は何も語らなかった。

2011年4月17日、厳しい表情で記者会見に臨む東京電力の勝俣恒久会長=東京・内幸町の東京電力本店で

 小さくてもよく通る声で少し語気を強めると、傍聴席にいても緊張した。切れ味の鋭い仕事ぶりから東京電力社内で「カミソリ」の異名を取った一端が見えた。  2019年9月の判決公判では無罪を言い渡された後、判決理由を読み上げる裁判長を、じっと見つめ続けていた。閉廷すると、遺族もいる傍聴席に目を向けず、足早に法廷を後にしたのが印象的だった。被災者に対し何を思っているのかも、分からなかった。  一方、株主代表訴訟の一審判決は、勝俣元会長らに「安全意識や責任感が根本的に欠如していた」と指摘。2009年2月の「御前会議」と呼ばれる東京電力の社内会議で、敷地高を超える津波来襲の可能性を認識したのに対策を指示しなかったとして賠償責任を認定した。  法廷で見た勝俣元会長は、巨大組織を率いた威厳を失っていなかったが、事故に向き合う姿勢を感じられなかった。(小野沢健太)   ◇   ◇

◆福島の被災者は…「真実は闇。心から謝罪をしてほしかった」

 原発事故に対する勝俣元会長の責任を問うてきた被災地福島県の関係者は複雑な思いを抱える。  東京電力の旧経営陣の刑事責任を問い続けてきた福島原発告訴団の団長の武藤類子さん(71)=福島県三春町=は「亡くなったことで真実が闇の中となり、分からなくなってしまう。きちんと罪を認めて心から謝罪をしてほしかった。胸に抱えたまま亡くなったことは、本人にとってどうだったのか」とコメントした。

福島第1原発事故を巡る初公判のため東京地裁に入る東京電力の勝俣恒久元会長=2017年6月30日、東京・霞が関で

 福島第1が立地する大熊町議の木幡ますみさん(69)は、訃報を受け、東京電力の地域住民モニターとして勝俣元会長(当時は社長)と2004年に対面したことを思い起こした。木幡さんは「原発の自家発電(非常用発電機)を地上に移してほしい。大津波に襲われるから」と伝えたが、勝俣元会長には「コストがかかりすぎるから無理。あなたは専門家でないし、考えすぎだ」と一蹴された。その後、危惧した大事故が起きてしまった。  大熊町出身の門馬好春さん(67)は「事故を起こした責任の中心人物でありながら、裁判でも『自分には責任がない』と言い続けたことは許せない。東京電力の下請け仕事で、勝俣元会長を常務のころから見てきたが、社内で『カミソリ』『天皇』と呼ばれ、誰も口を出せなかった」と話した。(片山夏子、山川剛史) 

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