「袴田」と呼び捨てにし、自白すれば「事件は解決」。1966年の静岡県一家4人殺害事件を巡り、共同通信を含む報道各社は逮捕当初から袴田巌さん(88)を犯人視する報道をした。当時を知る共同通信OBは「捜査機関べったりと言われても仕方ない。メディアの責任は大きい」と自戒を込めて語る。 袴田さんは事件から約1カ月半後、逮捕された。逮捕当日の夕刊には袴田さんの逮捕方針を報じる「前打ち」記事が載った。翌日朝刊では「否認のまま逮捕」との見出しを付け、警察官に同行を求められ「平然とした様子」だったと描写した。 袴田さんは否認を続けたが厳しい取り調べを受け勾留期限の直前に自白した。「事件発生から68日ぶり、逮捕日から19日ぶりにようやく事件は解決した」と報じ、パジャマを着て4人を次々と刺したと詳述した。 ところが、事件から約1年2カ月後、袴田さんが働いていた工場のみそタンクから、血染めのシャツなど5点の衣類が見つかった。検察は犯行着衣をパジャマから5点の衣類に変更。68年9月、死刑とした一審判決を伝える記事は「血染めの衣類は袴田の犯行を裏付けるもの」と報じた。 1年以上みそに漬かったはずの5点の衣類には不自然な血痕の赤みが残り、袴田さんの弁護団は再審請求段階で、捜査機関による捏造だと主張。先月26日の再審判決は、5点の衣類は捏造と認め、袴田さんは無罪と結論づけた。 当時、共同通信の名古屋支社に勤務していた元記者(83)は「犯人と決めつけていたと言われても仕方ない」と悔やむ。共同通信を含む報道各社は80年代から呼び捨てをやめ「容疑者」呼称に変更。裁判員裁判が始まって以降、捜査機関からの情報に偏らず、容疑者や被告の言い分も伝える「対等報道」を掲げる。 別の元共同通信記者(79)は、事件直後に捜索対象になったみそ工場から、重要な証拠が見つかった不可解さを追及すべきだったと当時を振り返る。「記者には、推定無罪原則を徹底し、疑わしきは容疑者や被告の利益にという取材が求められている」と語った。 共同通信社の高橋直人編集局長の話 事件当時、共同通信社は袴田巌さんを犯人視する報道をしました。袴田さんやご家族、関係者のみなさまに心からおわびします。共同通信社は現在、「事件報道のガイドライン」を策定し、犯人と決めつけるような報道はしないよう定めています。今後も捜査当局の見方に偏らず、客観的な報道に努めていきます。
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