<取材ファイル>
 
 「最後の扉」。確定死刑囚の精神状態の判定を専門家らがこう呼ぶことがある。日本の死刑制度では、確定死刑囚が心神喪失なら刑は執行されないためだ。今月26日に再審で無罪を言い渡された袴田巌さん(88)の再審弁護団の依頼でも精神鑑定を担当した精神科医が、この判定の実態が不明であり、医師にも大きな心的負担を与えると訴えるのを聞き、問題点について考えた。(三宅千智)

◆再審弁護団の依頼で鑑定し「拘禁症」と結論づける

 「心神喪失の状態にあったことが強く疑われるにもかかわらず死刑執行された事例が存在する。誰かが不完全な形で判定を行っていることが強く疑われる」。今月8日、死刑に反対する国際人権団体が開いたイベントで、精神科医で東京都東村山市の多摩あおば病院院長の中島直(なおし)さん(59)はこう訴えた。

説明する中島直さん(左)と、アムネスティ・インターナショナル日本死刑廃止ネットワークの片山博彦さん=8日、東京都千代田区で

 中島さんはかつて法務技官(医師)として横浜刑務所などで勤務し、2001年から同院へ。2007年には死刑が確定した袴田さんの再審弁護団の依頼で、袴田さんと東京拘置所で面会して精神鑑定を行い「拘禁症」と結論づけた。袴田さんが釈放されてからも主治医として診察してきた。  死刑執行について、刑事訴訟法は、法相の命令から5日以内の執行を定める一方、「死刑の言い渡しを受けた者が心神喪失の状態にあるときは、法務大臣の命令によって執行を停止する」と定める。判定の結果は「死刑適応能力」とも呼ばれ、実際に執行されるかどうかに関わる重大な手続きだが、中島さんは「(判定を)誰がどういう形で行っているか、手続きも内容も公表されず議論も乏しい」と指摘する。

◆取材に法務省「答えは差し控える」

 日本弁護士連合会は2018年6月、法相にあてた勧告書で、確定死刑囚のうち8人について、鑑定書や本人との面会などから「心神喪失の状態に該当、またはその疑いがある」と指摘。同様の疑いがありながら死刑が執行されたケースが過去にあるという。  東京新聞は法務省に「確定死刑囚が心神喪失の状態にあるか否かの判定は誰が行うのか」と尋ねた。同省は必要に応じて医師の診療を受けさせるなどしているとし、「専門的な見地からの判断をも踏まえて、心神喪失の状態にあるなどの執行停止の事由の有無を判断している」と回答。日弁連が、判定手続きが適正に行われたかの検証のため、どのような過程を経て結論に至ったか関係者に情報開示するよう求めていることについては「死刑の執行を待つ確定者の心情の安定を害する恐れなどがあり、慎重な対応が求められるため、答えは差し控える」と答えた。

◆命を救う仕事が…「医師にジレンマ」

 中島さんがもう一つ指摘するのは、死刑執行に「医師の診断や判断」を求める運用が「医師に大きなジレンマを負わせる」点だ。死刑適応能力ありと判断すれば、その人は死刑になる。能力なしと判断しても、治療にあたり症状が改善することによって、結局は死刑につながるからだ。「生命を救う医師の仕事が人を死に追いやることになる。医の倫理に大きく抵触する」  日本医師会が加盟する世界医師会は「医師が死刑執行に関与することは倫理に反する」とする決議を採択している。一方、アムネスティ・インターナショナル日本が8月、死刑に対する見解を日本医師会に尋ねたところ、「見解はない」との返事だったという。

◆日弁連は来月にも死刑制度めぐり提言

 アムネスティ日本の死刑廃止ネットワーク・片山博彦さんは「見解がないというのは大変残念。正直、何も考えていないというのが現実ではないか」と指摘。医師会などに対し、医療従事者が死刑に関与することに反対の立場を明確に表明するよう求めた。  死刑制度を巡っては、日弁連の呼びかけで法曹関係者らが2月から議論する「日本の死刑制度について考える懇話会」が10月にも提言を取りまとめる予定だ。死刑制度について多角的に報じていきたい。 

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