日本人の暮らしに欠かせない居酒屋

路地をほのかに照らす赤ちょうちん。のれんの向こうから漏れ聞こえる、老若男女の笑い声。

日本には、どんな小さな町にも必ず居酒屋がある。店主が趣向を凝らしたさまざまな料理に加えて、ビールや日本酒などを手頃な値段で楽しめる居酒屋は、庶民が飲み食いをする場というだけでなく、人間関係を円滑にする交流の場として暮らしの中に根づいている。

この国の“大人”の多くは「行きつけ」と呼ばれる、お気に入りの居酒屋を持っていて、それは家庭や仕事場では口にできない本音を吐露する場にもなっているのだ。

「ちょっと一杯どう?」

仕事帰りに行きつけに立ち寄り、ひとりカウンターでチビチビと、もしくは気の置けない同僚や学生時代の仲間とつかの間のひとときを楽しむ。そんな日本の人々の姿は、これまで数々の映画や文学にも描かれてきた。

個性的でこだわりのある居酒屋がひしめく東京には、100年以上前から続く老舗がいくつもある。その中でとりわけ多くの食通、呑兵衛(のんべえ)をとりこにする、千代田区神田の『みますや』と江東区西大島の『山城屋酒場』をハシゴして、古き良き居酒屋の魅力を堪能した。

勤め人に愛される神田の名店『みますや』

夜風に揺れる縄のれんに赤ちょうちん、そして味わい深い銅板の壁。昔ながらの店構えでひっそりと路地にたたずむ『みますや』は1905年創業。小さな引き戸を開けると、一気に視界が開け、伝統と格式が凝縮された空間に思わずため息が漏れる。あでやかに黒光りした高い天井と店の奥に続く、いくつもの畳の小上がり。そしてしめ縄を飾った神棚。東京が江戸と呼ばれていた頃の風情を思わせる、昔懐かしい空気が流れている。


『みますや』の夜の営業は17時から22時まで。平日でも開店後ほどなく行列ができる 写真:松園多聞


時が醸す風格を感じさせる『みますや』の店内 写真:松園多聞

120年近い歴史を誇る『みますや』は、戦災と震災を乗り越えてきた。コロナを機に引退した3代目の岡田勝孝さんに代わり、帳場で店を切り盛りする娘のかおりさんが語る。

「創業時の建物は1923年の関東大震災で焼失しましたが、創業者はバラックを立てて営業を再開し、こつこつお金を貯めて5年後に店を建て直しました。いまの建物は、その時のものです。のちの太平洋戦争では次第にお酒が手に入らなくなり、金属を拠出したことでオタマもなくなって営業を中止することになりました。長い歴史の中で店を閉めたのは、この時とコロナ禍だけです」

戦争で営業は続けられなくなったが、空襲による店の焼失はまぬがれた。神田周辺にも焼夷弾が落ちたが、「この店だけは守れ!」と近所の常連たちが必死のバケツリレーで消火活動をしたからだ。

『みますや』がある神田は東京でも古くから開けた商業地で、この地に代々暮らす江戸っ子たちによる祭りも盛ん。かおりさんが幼い頃は、近隣に立ち並ぶ印刷所の職工さんや江戸っ子たちで店がにぎわっていたそうだ。

交通の便が良い神田は、次第にオフィス街として発展。『みますや』は勤め人たちの憩いの場となり、近年は女性客、さらには外国人の観光客も珍しくなくなった。しかし客層が多様化しても、この店にはにぎわいの中に凛(りん)とした空気が流れている。それはお客さんたちが、『みますや』というかけがえのない居酒屋でのひとときを大切にしているからだろう。

『みますや』もまた、創業の頃からの信条を大切に守り続けてきた。それは旨(うま)いものを早く安く腹いっぱいに、という思い。常に庶民に寄り添い続けてきた。


4代目として店を切り盛りする岡田かおりさん 写真:松園多聞

食通をうならせる伝統の味

数多くの料理の中から、かおりさんに人気の5品を選んでもらった。

「牛煮込に焼き鳥、どじょうの丸煮と柳川鍋、馬肉の桜刺しですね。一番人気は2代目が『牛を安く旨く食べてほしい』と考案した牛煮込み。牛煮込み派と肉豆腐派で人気が分かれますが、このどちらかを必ず頼まれるお客さんが非常に多いですね」

いずれも長年、食通たちの舌を満足させてきた逸品だ。


「牛煮込」600円 写真:松園多聞


「さくらさしみ赤身」1300円 写真:松園多聞

どじょうを開かず丸ごと煮込む丸煮は、江戸時代から伝わる調理法。赤身が美しく、芳醇な味わいの桜刺しも伝統のメニュー。『みますや』で受け継がれてきた名物をつまみに、日本酒を傾けるのは至福のひとときだ。本格的なメニューをひと通り味わっても、ひとり5000円ほどで舌も胃袋も十分に満たされる。東京の中心という立地を考えれば、かなりお手頃だ。


「どぜう丸煮」700円 写真:松園多聞

老舗と呼ばれる居酒屋にはメニューを壁一面に短冊で貼った店が多く、『みますや』も短冊が一つの名物となっている。この短冊の字は3代目の手によるもの。「かつて父が看板屋さんに短冊を書いてほしいとお願いしたところ、『この店に合う字はあんたにしか書けないよ』と言われて、それで自分で書き始めたそうです」とかおりさんは明かす。

やわらかく愛嬌のある3代目の字。かすれて読みづらくなった短冊の字をそのままにしてあるのは、『みますや』がいまも庶民の店であろうとしている証しだ。

「物価高騰の折、値上げをしないで営業を続けるのは大変ですが、値上げをするには短冊を書き直さなきゃいけない。この店にはやっぱり父の字がしっくりきますし、私も面倒くさがりなので、このままでいいかと思ってそのままにしているんです。それからもう一つ、私は祖父や父から『値上げをするなら、いつもウチが最後だと思え』と言われて育ちましたしね」

『みますや』が貫いてきた味と値段と心意気、それがいつの時代も人々を惹きつけてやまないのだ。


先代の手による壁面のメニュー 写真:松園多聞

かつて労働者でにぎわった『山城屋酒場』

『みますや』のある神田から、路線バスで20分ほど東へ。一帯の再開発が進み、大型商業施設や高層マンションが立ち並び始めた江東区西大島には、現存する東京最古の居酒屋がある。『山城屋酒場』。かすれたままの看板、竿も曲がるほど長いのれんが、実にいい味を出している。

1897年、史跡名勝の多い江東区深川で角打ち(酒屋で買った酒をその店で飲むこと)のある酒屋として誕生した『山城屋酒場』は、終戦から8年後の1953年に同区西大島に移転。居酒屋として再出発する。


交通量の多い清洲橋通り沿いに店を構える『山城屋酒場』。営業は16時から22時まで 写真:松園多聞

「ぼくらは、ここに越してきてからのことしか分からないけど」と前置きして語り始めたのは、4代目の榛澤勢治(はんざわ・せいじ)さん。「ここは昔、にぎやかな商店街があって、八百屋、食堂、靴屋、弁当屋、クリーニング屋、薬屋といろんな店が並んでいたんだよね」

勢治さんの言葉を引き取って、姉の晴美さんが界隈の様子を語る。

「商店街の一本奥に入ると町工場がすごく多いんです。町工場に運送屋、くず鉄を集めるところもあって。その多くはマンションに変わっちゃったけど」

そう、『山城屋酒場』には近隣で働く労働者たちで大いににぎわった時代がある。勢治さんが述懐する。

「1980年代から90年代あたりですね。作業着を着た人たちが5、6人で入ってきて、パッと飲んで勢いをつけて仕事に出て行く。バブル期には、1万円札を出して『釣りはいらねえよ』と言って帰っていくお客さんも結構いました」

気風はいいが気性の荒い労働者たち。界隈では酔っ払いの騒ぎが絶えず、店でもケンカが珍しくなかったらしい。


4代目の榛澤勢治さん(右)と姉の晴美さん 写真:松園多聞

のれんをくぐると、そこには日本が高度成長期にあった1960年代の近所付き合いを見るかのような、濃密な世界が広がる。一枚板のカウンターとテーブル席、奧の小上がりに陣取った顔なじみの常連たちが、「いつもの」とか「おかわり」などと言いながらワイワイやっている。

「百年居酒屋」といっても、時が醸す風格を感じさせる『みますや』と雑多なにぎわいを見せる『山城屋酒場』では雰囲気は大きく異なる。

『みますや』にも見られた短冊メニューは、『山城屋酒場』にもあるが、こちらは壁一面を覆う勢いだ。数が多過ぎて厨房の窓口までふさいでしまっているので、晴美さんは厨房にいる勢治さんに注文を伝えるたびに、わざわざ短冊をよけなければならない。このひと手間も、雑多で楽しい『山城屋酒場』ならではの所作だろう。

そしてこの短冊メニューに、労働者たちで店がごった返したころの名残りを見ることができる。


品数も圧巻だが、個々のメニューの価格の安さにも注目してほしい 写真:松園多聞

大衆的な数々の名物料理

晴美さんが人気メニューを教えてくれた。

「上位5品を挙げるとしたら、ニラ玉、ハムカツ、マグロぶつに刺身3種、それからキュウリのぬか漬けかな。2代目の祖母の頃からのぬか床を、いまでも守り続けているんですよ。あ、それからもう一つ。もつ煮込みもずっと人気。いまは土曜限定だから、毎日食べられるわけじゃないけど」


「きゅうりぬか漬」250円 写真:松園多聞


「さしみ3種」830円 写真:松園多聞

ニラ玉やハムカツ、もつ煮込みは、額に汗して働く人々に好まれる定番の料理。これらに加えて、鳥のから揚げやポテトサラダ、焼きめしなど家庭の食卓にも上る、幼い頃から慣れ親しんだ腹持ちのいい料理が並ぶ。ここでは腹いっぱい飲み食いしても、3000円ほどで済んでしまう。のれんに書かれた「大衆酒場」の文字に偽りなし。


「ハムカツ」450円 写真:松園多聞

かつて威勢のいい労働者たちの声が飛び交った山城屋酒場だが、再開発によって住民が労働者から勤め人に変わっていったことで、アットホームな居酒屋へと姿を変えた。

「はるちゃん」の愛称で親しまれる晴美さんが言う。

「いまは若い子が増えたよね。若いカップルのお客さんも多いし、ひとりで来る若い女性客もいるんですよ。そんなの昔は考えられなかったよね」

地域に根づいた「百年居酒屋」というと、一見さんはちょっと身構えてしまうかもしれない。だが、心配ご無用。カウンターの向こうには、なにかと気を回してくれるはるちゃんがいて、常連さんも気安く声を掛けてくれるので、行きつけの店にいるかのような気分に。こうして今日も、『山城屋酒場』の夜がにぎやかに更けていく。

震災、戦災、パンデミック。『みますや』と『山城屋酒場』が数々の試練を乗り越えて、いまものれんを揚げていられるのはなぜか。そこには店とお客さんたちの、心豊かなつながりがあった。店が誠実にお客さんに向き合う中で、この店でいつまでも呑んでいたい、そのために店を盛り立てていきたいと願う人々の思いが世代を受け継がれてきたのだ。

赤ちょうちんとのれんの向こうで繰り広げられる、味わい深い人間模様。コミュニケーションの形がどれだけ変わっても、居酒屋は愛され続ける。いいものは時代を超えて生き残るのだ。

【東京都内の「百年居酒屋」リスト】

  • 1856年創業『鍵屋』 東京都台東区根岸3-6-18
  • 1877年創業『大はし』 東京都足立区千住3-46
  • 1887年創業『田口屋』 東京都江東区常盤2-6-11
  • 1897年創業『山城屋酒場』 東京都江東区南砂1-6-8
  • 1900年創業『岸田屋』 東京都中央区月島3-15-12
  • 1905年創業『みますや』 東京都千代田区神田司町2-15-2
  • 1915年創業『浅草おでん大多福』 東京都台東区千束1-6-2
  • 1915年創業『長野屋』 東京都新宿区新宿3-35-7
  • 1917年創業『酒夏酒冬 赤垣』 東京都台東区浅草1-23-3

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