秋篠宮妃紀子さまは18日、岐阜市で開かれた「第60回献血運動推進全国大会」に出席した。紀子さまはあいさつで「献血運動の輪がさらに広がっていくことを願います」などと述べた。
大会に先立ち、紀子さまは名誉副総裁を務める日本赤十字社の岐阜県支部を訪問。若年層の献血者数増加をめざして学生ボランティアらが子どもを対象に取り組む「血育(ちいく)かるた」に参加。紀子さまは「つなげよう 命のバトン 献血で」の札を読み、参加した小学生が素早く絵札を見つけたことに「すごいですね」などと拍手した。
大会では、脳腫瘍(しゅよう)で手術を受け、全身の血液のほとんどが入れ替わるほどの輸血を受けた当時1歳だった娘の母親が感謝の気持ちを発表。「輸血を受け、冷たくて真っ白だった娘のつま先が温かくなるのを感じ、ほっとして涙が出た。2度の再発を乗り越えた娘は小学校2年生になった」と話した。母親はこの経験がきっかけで定期的に献血に通っているという。
皇室と献血の関わりは、天皇陛下の祖母である香淳皇后の代までさかのぼる。
1950年、昭和天皇と香淳皇后は輸血問題について専門家から話を聞く「進講」を受けたとされる。当時は民間業者による血液の売買があり、頻繁に血液を売る人の健康が害されたり、血液を介した感染症が発生したりするなど社会問題となっていた。
64年には、駐日大使だったライシャワー氏が少年に刺される事件が起き、輸血で肝炎に感染。献血の機運が高まり、政府が献血の推進を閣議決定し、国、地方自治体、日赤が献血による血液事業を本格的に始めた。
同じ頃、皇族方は日赤のセンターやお住まいを訪れた移動献血車で率先して献血に協力したり、採血の現場を度々視察したりするなどした。香淳皇后が一人でも多くの人命を救いたいと人々に献血を呼びかける思いを込めて詠んだ歌は、「献血のうた」の歌詞としていまも全国大会のたびに歌い継がれている。
日赤によると、65年の第1回献血運動推進全国大会から、皇室が献血の普及活動を支援し、74年には輸血用血液製剤のすべてを献血で確保する体制が確立したという。「皇室の方々からご支援をいただくことにより、国民の皆様に『献血』の概念が普及していったものと考える」としている。大会には皇后さまや皇族方が出席し、令和になってからは紀子さまが担っている。
血液は医療技術が発展したいまでも、人工的につくれないうえ、長期保存もできない。献血によってつくられた輸血用血液製剤は、がんなどの病気治療や事故に遭った人の手術に役立てられる。
だが、日赤によると、2013年からの10年間で、10~30代の献血協力者は約242万人から約80万人減って約162万人になった。40代も減少傾向という。
さらにコロナ禍で企業のテレワークや学校のオンライン授業が進み、献血バスの派遣が相次いで中止に。「特に若い世代で献血する機会がないまま、献血に消極的になってしまっている人が増えた」という。
毎年7月は「愛の血液助け合い運動」月間。全国各地で様々な啓発イベントやキャンペーンが行われている。日赤の担当者は「献血は患者さんの命を救うボランティア。若い世代をはじめ、みなさまのご協力をお待ちしています」としている。(力丸祥子)
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