石川県珠洲市を拠点とする俳句結社「風港(ふうこう)」が能登半島地震の影響で解散し、同名の俳句誌も3月号を最後に終刊した。奥能登地方で唯一の俳句結社で、石川県でも三指に入る有力団体として知られていたが、主要メンバーの多くが被災。「先の生活の見通しが立たない中で、続けるのは難しい」と判断し、20年の歴史に終止符を打った。(日下部弘太)

発行を終えた俳誌「風港」の終刊号を手にする主宰の中川政幸さん=いずれも石川県珠洲市で

◆「20年」の重み、休刊も検討したが…

 「風港」は、戦後間もなく金沢で創刊された俳句誌「風」の流れをくみ、2004年4月に発刊した。初代の主宰は珠洲市の俳人、故・千田一路さん。「港」には三方を海に囲まれた能登の地形と、交流の拠点の意味を込めた。同市出身の挿絵画家、西のぼるさんに依頼し、表紙の絵を毎年描いてもらった。  直近の会員は句作の指導ができる「同人」を含め308人。県内を中心に新潟や沖縄まで幅広い。昨年11月に20周年を記念する全国大会を開いたばかりだった。  今回の地震で、千田さんを継いで19年に主宰となった中川政幸さん(75)=俳号・雅雪(がせつ)、珠洲市=のほか、発行の中心となる編集委員11人の大半が被災。避難所に身を寄せたり、市外に避難したりした。知人も多く亡くした中川さん。あまりにも大きな被害に「復旧には何年もかかるのでは。とても俳句誌の発行を続けられる状況ではない」と感じた。  「句の投稿が生きがいの人もいる」と続けたい思いも強かった。ひとまず休刊することも考えたが、「結局そのままやめる可能性もある。そうなったら、かえって会員や同人に申し訳ない」。編集委員らに相談し、終刊を決めた。

◆地震や津波から残った原稿・資料で発行

俳誌「風港」の発行を終え、思いを話す主宰の中川政幸さん

 発行間近だった2月号で終刊を告知。同人や会員からは「判断が時期尚早では」など、残念がる声が多く上がったという。3月号向けの原稿や資料は一部が地震や津波でなくなってしまったが、一部は残っていたため、発行することに。校正や発送は金沢の同人が担った。  「虎落笛(もがりぶえ)なゐの瓦礫(がれき)の泣くごとく」  3月号の冒頭には、中川さんが地震後に詠んだ句が並ぶ。「なゐ」は地震のこと。寒風が家の柵などに吹き付ける「ひゅうひゅう」という音に、崩壊した町の悲しみが重なった。  編集後記には、編集委員が無念や感謝の言葉をつづった。中には「再刊を信じている」との願いも。  中川さんは「多くの人を落胆させてしまった」と責任を一身に背負う。「休刊にした方が良かったのか。今でも分からん」。迷いもまだ、残っている。    ◇   ◇    

 「風港」3月号に載った主宰・中川雅雪さんの俳句

 激震のあと満天の冬の星  地震(なゐ)の夜の車中の毛布分け合へり  給水を待つ列の子の雪つぶて  ※「雪つぶて」は雪玉のこと 

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