目と耳両方に障害がある「盲ろう者」はコミュニケーションを取れない、というイメージが世間では強いのでは。当事者で、東京盲ろう者友の会理事長の藤鹿一之さん(58)は語る。しかし、通訳を介して藤鹿さんを取材したところ、そのイメージが大きな誤解であることが理解できた。記者の人生そのものに響いた話も含め、やりとりを伝えたい。(中山高志)

◆「未来はない、人生を終わりにしても」と考えた日々も

 「見えなくても、聞こえなくても、こうして人と会話ができるんだと教えてもらい、自分の人生が180度変わったんです」

指点字を介して取材に答える藤鹿一之さん(左)=東京都台東区で

 盲ろう者で人工内耳を使っている藤鹿さんは、さまざまな手段を介して人との関わりを取り戻した喜びを屈託のない笑顔で語る。  生まれた時は「目は弱視、耳は普通に聞こえていた」。小学校高学年で原因不明の難聴となり、視力も低下。26歳で全盲ろうとなった。  「心の目も耳も完全に閉ざされた状態。自分の未来はない。全ては終わった」と当時の絶望を振り返る。必要な人に臓器を提供して「人生を終わりにしてもいい」と本気で考えていた。引きこもる日々が続いた。

◆「指点字」でよみがえった心の目と耳

 転機は32歳の時。近所の縁で、東京都内の盲ろう者と支援者でつくる友の会につながった。点字そのものは習得していた藤鹿さんは、盲ろう者の指を点字タイプライターのキーに見立て、通訳介助者が指をタッチして伝える「指点字」を身に付けた。  「心の目と耳がよみがえった。実際の目と耳より大切です。見えても、聞こえても、心が死んでいたら、悲しいですよね、人生」。通訳・介助者の山下由美子さん(67)のサポートを受けながら記者の質問に生き生きとした表情で答えた。

◆「恥ずかしい」難聴の記者も言えなかった

 記者のペンが止まったのは取材を始めて17分後くらい。藤鹿さんは、指点字や通訳・介助者と出会う前は、自分が盲ろう者であることを人に言えなかったという。その理由を「盲ろうという障害に負けていたから、恥ずかしいと思っていたからです」と説明した。

盲ろう者が使用する点字ディスプレー=東京都台東区で

 記者は幼少時から難聴で現在は補聴器を着けて生活する。やはり「恥ずかしい」という思いから、これまでほとんどそのことを他人に言えなかった。

◆今も低い認知度…「少しでも知って」

 自分が言えていないことを伝えると「お気持ちはよく分かります。今の感じで説明すれば、分かってくれる人多いですよ」と気遣ってくれた。心に染みた。  藤鹿さんが友の会に入ったころは「ほとんどの人が盲ろう者を知らなかった」。その後、2009年に都盲ろう者支援センターが発足するなどして認知度は高まったが、今も知らない人が圧倒的に多いという。  社会に伝えたいことを尋ねると、こう話した。「通訳を介してでもいいので、盲ろう者とコミュニケーションを取ってほしい。それにより、盲ろう者のことを少しでも知ってほしい」    ◇   ◇

◆全国で1万4000人 IT発展が助けに

 取材のきっかけは、現在浅草橋にある「都盲ろう者支援センター」が6月に移転するという都の発表資料だった。センターは交流会や学習会を開催したり、各種訓練や相談支援などを実施したりして盲ろう者を総合的にサポートしている。開設から15年を経て利用者が増加し、手狭になったため、6月に新宿区に移る。  2012年の全国盲ろう者協会の調査によると、視覚、聴覚障害の両方が障害者手帳に記されている人は全国で1万4000人、都内で840人。しかし調査が難しいため近年のデータはなく、実際にはより多いことも考えられるという。  コミュニケーション方法は、障害の程度や状態などにより分かれる。手のひらに指先で文字をなぞる「手書き文字」、藤鹿さんが利用する「指点字」、手話を表す手を握る「触手話」など多彩だ。  近年はIT機器の発展が大きな助けになっている。「点字ディスプレー」は、文字情報を点字情報に置き換えてディスプレー上に凹凸で表現し、指先で読み取る。自分のメッセージを点字入力して文字情報に変換し、送信できる。交流サイト(SNS)やメールなどのやりとりも可能だ。ただ、1台数十万円と高価なことなど課題もある。 

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