目次

  • 国連 戦争犯罪にあたると非難強める

  • 解放された兵士への支援は

首都キーウに住むオレフ・ネチャイエフさんは(33)おととし4月、ウクライナ東部マリウポリでのロシア軍との激しい戦闘に海兵隊の運転手として参加し、ロシア軍に拘束されました。

ネチャイエフさんはロシア軍から解放されたあと、今月13日に首都キーウの自宅でNHKのインタビューに応じ、収容されたロシア国内の施設ではロシアの刑務官らが捕虜に対し、軍での階級などを尋問した上でとりわけ上位の階級だと激しく暴行し、こん棒やスタンガンを使うほか、足などを銃で撃つこともあったと証言しました。

ネチャイエフさん自身も何度も殴られ、性的暴行を加えるなどと脅されたこともあったそうです。

ネチャイエフさんの頭部には暴行を受けた際のものだという傷痕が今も残っています。

ネチャイエフさんは残酷な拷問のほか、自白の強要も目撃したとして「尋問のために呼び出され、耳に加えて両手を鉄の棒で焼かれた男もいました。また、捕虜に『市民を撃った』などと自白させていました。これはすべてうそです」と証言しました。

こうした暴力で捕虜がけがをしたり、病気になったりしても、治療をすぐに受けさせてもらえず、そのまま死亡する捕虜もいたといいます。

さらにネチャイエフさんを肉体的にも精神的にも追い詰めたのは、「飢え」でした。

食事は1日に3度、出されますがわずかなおかゆやパンなどで、水しか与えられないときも多かったということです。

食事の時間も数分しか与えられないうえ、パンにネズミのふんや駆除剤とみられるものが混入していたこともあったといいます。

オレフ・ネチャイエフさん
「ただただ、腹が減るのです。そして満腹になる夢を見ます。パンを集めて枕の下に隠し、『ああこれで1日、2日は飢えに苦しめられないのだ』と感じるのです。この恐怖は終わったのだと。夢はただ1つ、食べること。もし解放されれば、妻のところに帰るよりも、まずご飯を食べたいとさえ思いました」

ネチャイエフさんの家族はロシアのSNS上で収容施設での食事の様子を撮影したという動画をみつけ、ネチャイエフさん本人と見られる男性が写っていました。

ネチャイエフさんによると、収容施設では何度か撮影が行われ、その際にはいつもより食事の量が多かったということです。

捕虜となって1年がたったある日、極限状態まで追い詰められたネチャイエフさんは、収容施設で見つけた金属のかけらを使って自殺を試みたといいます。

傷は浅く、一命をとりとめましたが、それを知ったロシア当局からは、さらに暴力をふるわれたといいます。

ネチャイエフさんは、あわせて7つの収容施設で2年5か月におよぶ捕虜生活を過ごしたあと、ロシア側とウクライナ側の捕虜交換によって、先月13日に解放されました。

もともと90キロを超えていた体重は解放されたときには、35キロも減っていました。

それでも、ネチャイエフさんの心を最後まで支えたのは、家族と祖国を信じる気持ちだったといいます。

ネチャイエフさんは「私は家族、特に姉が自分を助けてくれると信じていました。ウクライナの国家も私たちを見捨てないだろうと。車が捕虜の交換地点に到着したとき、私は息を吐いて、吸いました。ウクライナの空気、生まれ故郷の空気でした」と解放された喜びを振り返っていました。

国連 戦争犯罪にあたると非難強める

国連は、ロシア当局がウクライナの戦争捕虜に対して拷問や虐待を組織的に行っているとした上で戦争犯罪にあたるとして非難を強めています。

ウクライナで人権状況を調査している、国連の人権監視団は、去年3月以降、ロシアの収容施設から解放されたウクライナの捕虜、174人に聞き取り調査を行い、今月1日、報告書を発表しました。

それによりますと、聞き取りを行った捕虜のほぼ全員が、収容中に棒などで激しく殴られたり、電気ショックを与えられたりするなどの拷問や虐待を経験していたということです。

また、性暴力を受けたという報告も100件以上、あったとしています。

さらに報告書では、拷問や劣悪な収容環境、それに不十分な医療措置の結果、収容施設内でウクライナ兵の捕虜など11人が死亡したことを確認したとしています。

拷問は、ロシアやロシアが占領した地域にあるさまざまな収容施設で日常的に行われていたとして、上層部が知らなかった可能性は極めて低いと指摘しました。

このため報告書では「ロシアの当局はウクライナの捕虜に対し、組織的な拷問と虐待を広範囲にわたって行っている」と結論づけました。

報告書をまとめた国連ウクライナ人権監視団のベル団長は、NHKの取材に対し「われわれのチームは何人もの捕虜に聞き取りを行ったが、ほぼすべての人が多くの拷問や虐待の悲惨な話を語っていた」と強調しました。

その上で「捕虜への拷問はいかなる状況下でも国際法で禁止されており、戦争犯罪だ」と指摘し、ロシアの責任を追及すべきだという考えを示しました。

一方、報告書では、ロシア兵の捕虜についても205人に聞き取り調査を行ったところ、捕虜として拘束された段階で、104人がウクライナ側から拷問や虐待を受けたと証言したということです。

ただ、収容施設に到着したあとの対応はおおむね国際基準を満たしていたと指摘しています。

解放された兵士への支援は

ウクライナ当局によりますと今月19日までにロシア側との捕虜交換で解放されたウクライナの兵士などは3767人にのぼりますがいまも多く捕虜がいるものとみられます。

そして、解放された兵士はその後、深刻なトラウマを抱える場合も多く、支援が課題になっています。

ネチャイエフさんは、先月13日に解放された後、1か月ほどの入院を経て、今月はじめに自宅に戻り、妻と2人の子ども、それに姉の家族と一緒に暮らしています。

取材で訪れた日は、家族でケーキを食べ、自宅に戻れたことを祝いました。

ネチャイエフさんは、子どもたちの前ではこれまでどおりふるまうようにしていますが、いまでも大きな音がすると恐怖を感じるほか、当時のことを思い返し、うまく眠れないといいます。

また、自身が受けた数々の暴力など、収容施設での経験は家族には話していません。

オレフ・ネチャイエフさん
「恐怖心はいまも残っています。残念ながら戦争はまだ終わっておらず、いつ死ぬのかわからない中でまだ生きている感覚です。この経験を子供たちと分かち合うことはないでしょう」

姉のマリアさんも「解放された弟をみて、生きていて嬉しかった一方、その姿を見て涙が出ました。当時はもっとひどい見た目でとてもやせていました。外見だけでなく、内面も変わってしまいました」と話していました。

こうしたなか、ネチャイエフさんが今月17日、初めて参加したのは捕虜となっていた兵士の精神面の回復を支援するためのリハビリ教室です。

民間団体の支援によるもので、この日は睡眠障害がテーマで、参加者は「ベッドに入ったらめまいがする」とか、「眠りながら体が震えている」などと睡眠時のトラブルを訴え、講師役の臨床心理士の女性から、アドバイスを受けていました。

リハビリは1時間あまり続き、同じ捕虜としての経験を持つ参加者とも時間をともにしたことで、ネチャイエフさんの表情もときおり和らいだように見えました。

オレフ・ネチャイエフさん
「とても役に立つ教室でした。睡眠は捕虜を経験した私たちの最初の問題です。どれだけ時間がかかるかわかりませんが、回復するよう努力したいです」

このリハビリ教室は軍事侵攻以降、これまで1000人ほどの兵士が参加したということですが、2年以上、治療を続けている人もいるということで臨床心理士の女性は「捕虜から戻ってきた兵士は、適応のための治療をしなければ精神に深刻な障害が残ります。ただ、兵士のケアのできる臨床心理士はほとんどいません」と述べ、支援の体制を強化する必要性を訴えていました。

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