6700万人の前で…

アメリカで今月10日夜に行われたハリス副大統領とトランプ前大統領の討論会。

全米に生中継され、推計6700万人が見たとされています(※ニールセン調査)。

この討論会を主催したABCテレビはそれぞれの候補者の発言が事実に基づくかどうかの確認、「ファクトチェック」を行いました。

その対象となった1つが「オハイオ州のスプリングフィールドでは移民が犬を食べている、猫を食べている、ペットを食べている」とするトランプ氏の発言でした。

発言の直後、ABCの司会者は「ABCニュースはスプリングフィールド市の担当者に取材したが、移民コミュニティーの人物によってペットが危険な目にあったり虐待されたりしているという報告はないと話している」と指摘しました。

しかし、トランプ氏は司会者の発言を遮って「テレビで『私の犬が移民に食べられた』と言っていた人がいた」と反論。

司会者はそれに対して「テレビの話ではない。市の担当者がそのような証拠はないと話している」と、重ねて否定しました。

トランプ氏のこの発言についてはアメリカのファクトチェック団体「PolitiFact」もリアルタイムで検証し、「市担当者は、そのような事実は確認していないとしている」とXで投稿。

アメリカのNBCテレビやニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、USA TODAY、それにAFP通信やBBCなど数々のメディアも「誤った情報」とか「根拠のない情報」とする記事を出しています。

討論会についてCNNテレビは暫定的な分析結果として、トランプ氏がこの発言を含めて30回以上、誤った内容の発言を行ったと伝えました。

一方、ハリス氏については「トランプ氏は大恐慌以降で最悪の失業率をわれわれに残した」とする発言が誤った情報だったと指摘したほか、誤解を招いたり重要な文脈を欠いたりした、発言があったとしています。

情報の発端は…

否定されたにも関わらず、「移民がペットを食べている」とする主張はいまも広がり続けています。

この根拠のない情報はどこから来たのか。

最初に広がったのはアメリカの右翼団体などが多く使うとされるSNS「Gab」だったとみられています。

7月下旬に画像掲示板サイトに投稿された、黒人の男性がガチョウの死体を運んでいる画像に、「ハイチ人は公園のガチョウやアヒルを無料の食事だと思っている」とする情報が書き込まれて投稿されました。

この画像はスプリングフィールドで撮影されたものではなく、さらに男性がハイチからの移民だという情報はありません。

また、スプリングフィールドの警察も、この時点でアメリカの公共ラジオNPRの取材に対して、「『ハイチからの移民が公園でアヒルを殺している』といった報告を受けているが、そのようなものは現認していない」と否定しています。

舞台となった”スプリングフィールド”とは

オハイオ州のスプリングフィールドは人口6万人近く。

生活費が安く、工場などでの労働者が足りず仕事が得やすいという情報がハイチ人コミュニティーに広がったことで、ここ数年ハイチなどからの移民が急増し、その数は周辺を含めて1万5000人ほどとされています。

ハイチの人たちは、ハイチで不安定な情勢が続き、安全が確保されていないとして、アメリカ政府が滞在を認める措置をとっていて、スプリングフィールド市はハイチからの移民は不法滞在ではないと説明しています。

近所の人の友人が…

スプリングフィールドでは、8月27日にもインフルエンサーを名乗る住民が市の委員会で「ハイチ人が公園でアヒルを切りつけて食べている」と根拠不明の主張を行いました。

さらに9月上旬には地元住民のフェイスブックのグループに、「近所に住む人から聞いた話です。その人の娘の友人の猫がいなくなり、彼女はハイチ人の家でつるされているのを見た。ハイチ人は猫を食べるために切り刻んだ」といううわさ話が書き込まれました。

この投稿はXで拡散し、さらに最初に広がった「ガチョウの死体を持つ黒人男性」の画像をつけたものも広がりました。

しかし、投稿を書き込んだ女性はロイター通信の取材に対し、「近所の人から聞いた」と答え、その「近所の人」も「友人が友人から聞いた」と明かしています。

もとの投稿自体、「誰かに聞いた」という伝聞で根拠が不明な情報でした。

別の町の事件、でも…

一方で、オハイオ州の別の町では猫を食べた女性が逮捕される事件が8月中旬に起きました。

このときに警察官が身につけていたカメラの映像を使って、「ハイチからの移民の女性が猫を食べて逮捕された」とする投稿も広がりました。

しかし、スプリングフィールドで起きたことではなく、女性についても複数のメディアはアメリカ生まれだとしていて、ハイチからの移民でもないとしています。

副大統領候補も イーロン・マスク氏も

この情報は根拠不明にもかかわらず、多くのフォロワーを持つ政治家なども加わって、さらに拡散されました。

9月9日には共和党の副大統領候補、バンス上院議員がXに「報告によると、この国にいるべきではない人々にペットが誘拐され食べられた」などと投稿、10月4日午後5時まででおよそ1150万回閲覧されました。

さらにトランプ氏に近い極右のインフルエンサー、ローラ・ルーマー氏や実業家のイーロン・マスク氏らも同様の情報を投稿し、なかには5000万回以上閲覧されたものもありました。

マスク氏の投稿

地元の当局が重ねて否定しても拡散は収まらず、バンス氏は「これらのうわさがすべて嘘であることが判明する可能性もあります」としながら、猫についての話を広げるよう呼びかけました。

それを受けて、Xでは「ペットを救おう」などと猫やアヒルとトランプ氏をあしらった画像が多く投稿され、討論会の直前にはトランプ氏自身がSNSの「トゥルース・ソーシャル」に、生成AIで作ったとみられる、猫に囲まれた自らの画像を掲載しました。

トランプ氏の投稿

さらに、トランプ氏の長男も、猫に乗ったトランプ氏の画像を投稿し、2780万回以上閲覧されています。

討論会から1か月近くたったいまも、トランプ氏を支援する立場とみられるアカウントから、猫などをあしらった画像が次々と投稿されています。

トランプ氏の長男の投稿

地元当局 “必要ない恐怖や分断が”

9月10日に開かれた大統領候補の討論会での発言を受けて、移民やペットに言及する情報はさらに拡散することになりました。

地元スプリングフィールド市の当局者は、NHKの取材に対して「移民の人たちがペットに危害を加えたといった確たる情報はない」としています。

スプリングフィールド市内の小学校

市内では、ハイチ出身の人たちの子どもも通う学校などに爆破予告の脅迫もありました。

それにも触れて、次のようにコメントしています。

「誤った情報が拡散し、私たちのコミュニティーに大きな影響を与え、必要のない恐怖や分断をもたらしていることを深く懸念している。私たちは言論の自由を支持するが、事実にもとづかない言葉は深刻な影響を伴う可能性がある。すべての人に対し、情報を共有するにあたっては十分に注意し、責任を持って対応することを求める」

否定されても拡散

地元の警察やオハイオ州知事も発言を否定しましたが、拡散は収まる気配がなく、討論会後の9月14日には「移民が実際にオハイオ州で猫を食べている」とする動画が拡散し、2700万回近く再生されました。

投稿した人物は、スプリングフィールドから40キロほど離れたオハイオ州デイトンでコンゴからの移民を撮影したと主張しています。

デイトンの警察は「移民コミュニティーを含むいかなるグループもペットを食べる行為に関与していることを示す証拠は全くありません」とする声明を発表しました。

なぜここまでの拡散が?

アメリカ政治や政治のコミュニケーションに詳しい慶応大学の烏谷昌幸教授に聞きました。

烏谷教授
「反トランプやリベラル系の人たちからは、『また非常識なことを言っている』と見えるが、支持者の側から見ると不法移民がアメリカの小さな町を乗っ取ってしまうという、彼らが一番恐れていることを非常に生々しく伝えるエピソードになっている」

「トランプ氏が話題を設定していて、うそか本当かということが必然的に二の次になるようなものなのだと思う。ただ、今回も市の施設に爆破予告がされるなど暴力的な行動と結びつきやすくなっていて本当に深刻な問題だ」

ハイチ出身の人たちは…

スプリングフィールドに暮らすハイチ出身の人たちは、怒りや悲しみをあらわにしています。

40代の男性は「発言は本当にショックだった。スプリングフィールドでも、ハイチでも世界のどこでもハイチの人たちは犬やネコ、ペットは食べない。ショックであるだけでなく腹立たしい気持ちだ。子どもたちが通う学校に爆破予告があるなど、安心を感じられなくなった」と話していました。

5歳の子どもがいる32歳のハイチ出身の女性は「子どもを学校に通わせていて、とても心配している。ただ、何が起ころうとも私にはほかに行く場所はない」と話していました。

現地住民の受け止めは?

スプリングフィールド市内では、ハイチからの移民の生活を支援しようと市民団体が相談窓口を設け、滞在や就労の手続きのほか、医療機関の受診などについて連日、相談にあたっています。

移民支援を担当するペギー・ジョンソンさんは「トランプ氏の発言をテレビで見たとき、本当にぞっとした。それが真実ではないとわかっていたからだ」と述べました。

そして「ハイチの人たちは働く意欲があり、実際に一生懸命に働く。私たちは彼らを歓迎すべきだ。移民に反対する人たちの意見はとても残念だし、彼らが事実を知ろうとしているのかすらわからない」と話していました。

一方で、ハイチからの移民が多く暮らす地域に暮らすロジャー・メドックさんは、トランプ氏の発言について「私は見たことないので、本当かうそかはわからない」と話しています。

そのうえでハイチの人たちが医療機関に多く押し寄せ地元の人たちの待ち時間が長くなっているとか、運転のルールを理解していないハイチの人がいるなどとして、もともとのコミュニティーが大きな変化を強いられているとしています。

メドックさんは「彼らがやっていることは私たちの町を壊すことだ」として、国境管理を厳格にすべきだと訴えていました。

スプリングフィールドの日本人は

スプリングフィールドには、名古屋市に本社を置く金属メッキ加工を手がけるメーカーが工場を構えていて、およそ60人の従業員が働いています。

現地の責任者の石川直也さんは「脚光をあびることのない小さな町なだけに名前が出てきてびっくりした。移民が犬やネコを食べるという話は聞いたこともなかった」と話していました。

工場の従業員の中にはメキシコなどにルーツを持つ人もいるということですが、現在、ハイチ出身の人は働いていないということです。

石川さんは「アメリカ人を雇用するのは給与面でコストがかかり難しくなってきているので、移民などは労働者として貴重だ」と話していました。

“移民がペットを” 日本でも拡散

「移民がペットを食べている」とする誤った情報は日本にも入り、拡散しています。

NHKがSNS分析ツール「Brandwatch」で調べたところ、「移民」や「ハイチ」という言葉とともに「ペット」「犬」「猫」などに言及している投稿は9月9日から18日までの10日間で、否定する情報も含めて、およそ6万2000件出されていました。

大統領選挙のテレビ討論会が開催された日本時間の11日以降に急増しています。

アメリカのSNSで拡散していた無関係の事件の動画を引用し、「猫を食べたハイチからの不法入国者が警察に逮捕される映像」と主張する誤情報や「移民がバーベキューで猫を食べている証拠」だとする出どころが分からない根拠不明の動画もありました。

こうした投稿はトランプ氏に関する情報をまとめ支持しているアカウントやまとめサイトが広めていて、中には猫とトランプ氏をあしらった画像をつけたものや、関連付けて日本国内に住む外国人を批判しているものもありました。

“感情に訴える情報に気を付けて”

日本国内でも拡散していることについて烏谷教授は、次の大統領が誰になるかによって日本にも影響が出るため、もともとアメリカ政治への関心が高いことや、日本国内でも一部の保守層でトランプ氏を支持する人たちがいることなどがあるのではないかとしています。

そのうえで次のように指摘しています。

烏谷教授
「大統領選挙の投票日が近づくと偽情報や陰謀論が多く出回るようになるので、今回の移民の話のように感情的に強く触発される情報であればあるほど気を付けてほしい

「拡散させないとともに、SNSの断片的な情報だけで物事を分かった気にならず、メディアが情報を検証していないか調べてみたり、データや解説など多角的な説明に向き合って理解を深めることが必要だ。なんとなく流れてきた情報を見て悪いイメージだけ残るということにならないよう、メディアも早いタイミングでファクトチェックするようにしてもらいたい」

(ワシントン支局 戸川武、機動展開プロジェクト 籏智広太、経済部 岡谷宏基)

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