<昭和20年に生まれて Born in 1945>  「なぜあえてあなたがゲイを書く必要があるの」  今ならありえない問いかけだろう。34年前、落合恵子さんが小説「偶然の家族」を出したころ、親しい編集者から掛けられた言葉だ。

個人の尊厳や多様性、平等を求め続ける落合恵子さん=武蔵野市で

 落合恵子(おちあい・けいこ) 1945年1月15日、栃木県生まれ。明治大文学部卒業後、ラジオパーソナリティーを経て作家活動に。主な著書に「ザ・レイプ」「夏草の女たち」「わたしたち」など。書籍販売やオーガニックレストランなどを核とする「クレヨンハウス」を主宰する。

◆母と暮らした木造アパートをモデルに

 作品はさまざまな事情を抱え、傷を負った人たちが血縁ではなく「結縁」で一つ屋根の下で暮らす触れ合いを描いている。その中にはゲイのカップルもいた。  「『なぜ』と問われても、私は社会で『普通』と呼ばれる枠からはみ出したり、外されてしまった人に共感するんです」  作品にはモデルとなった舞台がある。落合さんが小学生の時、母親と暮らした東中野の木造アパートだ。30代半ばを過ぎたころ、反戦集会に参加していると、ある女性が人目を避けるように会いに来た。アパートに住んでいた「おねえさん」の一人だった。  「母がいない昼間、おねえさんたちが私の面倒を見てくれた。夜になると出かけていく。彼女たちは戦争で夫を失って、ダンスホールなどで男性相手の仕事をしていた。朝鮮戦争が始まると、おねえさんの部屋に来る米兵もいて、私をかわいがってくれました」  それから20年ほどして現れた「おねえさん」は、作家になった落合さんに手紙を書いては破いていたという。「あのアパートに私が住んでいたことが分かっては迷惑がかかると思ったって…。彼女たちは戦争の被害者です。悲しみに向き合う余裕もなく生きるのに精いっぱいなのに、そんな境遇さえ隠さなければならない。なんと残酷なのだと」

2015年の「5.3憲法集会」に呼びかけ人として参加した落合さん(後列右)と故・大江健三郎さん(前列左)、沢地久枝さん(同右)=横浜市西区の臨港パークで

◆娘の中に差別意識を見つけてしまった母

 ただ、「残酷な」偏見は、誰の心にも芽生える。幼い落合さんにも。未婚で落合さんを身ごもった母は家族の反対を押し切り、産んで一人で育てる道を選んだ。事務職に就いたが、生活は苦しく、雑居ビルで清掃にも従事した。娘が口にしたのは「もう一つのお仕事(清掃)はやめて」。友達に見られたくなかった。  母は娘をビルに連れていった。トイレを磨いて床にモップをかけ、終わると「なぜ恵子はこの仕事はやめてというの?」と問うた。「大事な、立派な仕事なのに、無念だったと思います。未婚の母となり、世間の偏見にさらされながら、娘の中にも差別意識を見つけてしまった」  母の問いに答えられなかった落合さんだが、問いの重みは忘れたことがない。「母は、いつも『自分で考えなさい』と。自ら考えれば内省もするし、社会への疑問も生まれてくる。それを教えてくれた」

◆憲法の理念と重なる作品の主題

 その教えは多くの著作に投影されている。社会の片隅で埋もれがちな声に耳を傾け、代弁している。落合さんにはいくつかの人生のテーマがある。一つが「終戦の年に生まれた偶然を必然に変える」。  その指針にもなりうる存在が、自身とほぼ同じ歳月を生きてきた憲法だ。作品に染み込む主題は個人の尊厳や多様性の保障、法の下の平等…。憲法の条文とも重なり合う。「理念が浸透しているのか、権利が蔑(ないがし)ろにされていないか」。問い続けている。  主宰するクレヨンハウスには児童書とは別の書籍フロアがある。フェミニズム、原発と報道、安保・自衛隊、沖縄…。今も多くの人々が苦しむテーマが並ぶ。壁にはこんなメッセージも張られている。「わたしたちがこの社会を構成しているのです。おかしいと思ったら、声を上げましょう」   ◇   2025年の「戦後80年」を前に、昭和20年に生まれた人に、同じ歳月を重ねた戦後とどう向き合ってきたか、語ってもらう。(随時掲載)  文・稲熊均/写真・安江実、川上智世  ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へメールでお願いします。 

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