看護師見習いだった16歳の時に広島で被爆した埼玉県蕨市の服部道子さん(95)は11日夕、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞を喜び、時折感情を高ぶらせながら語った。「いち早く、原爆の犠牲になって亡くなった方々のお墓にお参りして伝えたい」(前田朋子)

◆「第五福竜丸事件」を機に活動に参加

 1954年の第五福竜丸事件を機に声を上げようと決め、県原爆被害者協議会(しらさぎ会)に加わった。今は理事を務め、被団協と活動をともにする。被災直後の広島の惨状や、被爆者として受けた差別など、核の悲惨さを若い世代に語り継ごうと講演活動を行っている。

8月、市民団体の学習会で講演する服部道子さん=さいたま市浦和区で

 90歳を超えても活動を続けるその原点は、「何も悪いことをしていないのに、虫けらのように殺された犠牲者に申し訳ない」という強い思いだ。

◆「生きているうちにこの知らせを…」喜び

 今回の受賞を「長年、語り部をやってきたかいがあった。生きているうちにこの知らせを聞くことができてよかった」と喜ぶ。一方、これまでの講演では、唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約に署名・批准しない日本政府の姿勢を強く批判してきた。  「(受賞は)一歩前進だが、地球上の核兵器をゼロにするには時間がかかる。子孫の代にあんなひどいものを残していくわけにはいかない。訴えることはまだまだたくさんある」

◆課題は核兵器禁止条約批准…「何か変われば」

 しらさぎ会の事務局長で、1歳のときに広島で被爆した埼玉県入間市の佐伯博行さん(80)も「びっくりしたがうれしい」と話す。事務局と佐伯さんの携帯電話には受賞発表の夕刻から電話が相次ぎ、各方面との連絡に追われた。  受賞には「何度も候補に挙げられていたので、今回も期待はしていなかった。これからが大変だ」と苦笑い。今後の課題と考える条約批准については「外国に認められて初めて動くところが日本にはある。何か変われば」と期待する。

16歳で被爆した服部道子さん。戦争を知らない世代に核廃絶の必要性を訴えている=8月、さいたま市浦和区で

 自身は会の中では「新参者」という。子どもが差別や不利な扱いを受けてはいけない、と被爆した事実を長く伏せてきた。娘が成長、結婚したことで安心できたこともあり、10年ほど前から会の活動に加わることになったという。  しらさぎ会のメンバーは高齢化が進み、被爆体験などの継承が課題。県内の学校からの求めに応じ、講演で若い世代に向けて語る機会も設けている。事務方を務める佐伯さんは受賞によって業務が増え、講演の機会が減ってしまう可能性もあるが「できる限り続けられれば」と話した。 

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