写真家の那部(なべ)亜弓さん(41)=千葉県在住=は全国を飛び回り、ある場所を撮影している。カメラに収めるのは「昭和」が生んだ非日常の空間、日本独自の発展を遂げてきた「ラブホテル」だ。

◆「ラブホの代名詞」ちゃんと動いた

 9月26日夕、東京から車で約2時間、東名高速道路沼津インターチェンジそばにあるホテル「AI(アイ)」(静岡県沼津市)に入った。予約をした部屋には、円盤形のUFOのような大きなベッドがあった。

ホテルAIの回転ベッド。回るだけではなく、2メートルほど上にも動く

 「ピンクの布団がいいですね」。那部さんは枕元のボタンを確認した。「右にしか回らないけど、ちゃんと動きます」。これは回転ベッド。1970年代に流行しラブホの代名詞だったが、今では珍しい存在だ。49歳の記者が実物を目にしたのは、2度目である。  三脚を立て、一眼カメラをバッグからさっと取り出す。荷物や余計な備品は別室に移し、絶対に写らないようにする。室内の照明を変えながら、最高の構図を探る。

◆不倫の2人が「結婚写真」を

 「布団に隠れてベッドのボタンを押すので、回転する様子を録画してください」と言われ、応じた。1周2分ほど。押し続けないと止まってしまう。しかも、2メートル近く上にも動く。まるでUFOの離陸だ。思わず「すげー」と声を上げた。天井はドーム形で照明の具合でどこか夜の星空っぽい。撮影は休みなく続き、4時間近くに及んだ。

一眼カメラを手に室内を撮影する那部亜弓さん=静岡県沼津市で

 調べてみると、AIは1978年に開業。ホテル主任の北川和枝さん(49)は「回転ベッドは初期からあるそうです。修理する職人は高齢で。いなくなったらどうなるのか…」と案じる。  なぜ昭和のラブホなのか──。那部さんは2018年、あるカップルに撮影を頼まれた。場所は1980年に開業したホテル「迎賓館」(川崎市川崎区)。1200万円のシャンデリアのある宮殿のような部屋でドレス姿の「結婚写真」を撮った。女性は独身で不倫関係だった。「表だって写真を残せない日陰の2人のための空間だった。セックスするだけというそれまでのラブホのイメージが変わった」

◆人の欲望、時代の空気

 各地の昭和ラブホを回るようになり、その数は41都道府県の350カ所。メリーゴーラウンド、大理石の浴室と派手な設備が多く、日常から懸け離れている。今年5月には、写真集「HOTEL目白エンペラー」(東京キララ社)をまとめた。題名は、1973年に開業し全国に名をとどろかせた西洋の城のような「ホテル目黒エンペラー」(目黒区下目黒)へのオマージュだ。

山手線の車窓からも見えた「シャトーすがも」。50年の歴史に幕を下ろし、2022年に解体された(那部亜弓さん提供)

 昭和ラブホは年々減っている。「昔の電話帳を頼りに向かうと廃虚だったこともある」という。迎賓館は2019年に、都心で回転ベッドが残っていた豊島区巣鴨の「シャトーすがも」は2021年に、それぞれ営業を終えた。那部さんは迎賓館も「すがも」も解体風景も撮った。「すがも」からは回転ベッドをもらい、解体してから、千葉県市川市の実家に運び込んだ。残念ながら回転しないが、動くようにしてみたいという。  「ラブホは多くの人が何かしら語りたくなるような、共通言語だと思う」と那部さんは言う。「平成は都会的なシティホテルのようになり、令和はSNS(交流サイト)で写真が『映え』ることが重要になった」。人の欲望と時代の空気を映してきたラブホ。その歴史をたどる本の執筆に取りかかったばかりだ。 ▶次のページ 写真ギャラリー「回転ベッドを自宅移設、往年の昭和ラブホ…」を見る

 ラブホテル 1970年代に日本で定着した呼び方で、旅館業法ではなく風営法で管理。警察庁の統計によると、2023年時点で4724軒。2014~2023年の10年で毎年平均130軒減っている。1985年の新風営法施行で、回転ベッドや鏡張りの設備などの新設が禁止に。現存する回転ベッドは1985年以前に設置された。

◆文と写真・小川慎一 【関連記事】初のファミレス 府中「旧スカイラーク1号店」閉店
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