1966年6月30日付の新聞各紙の夕刊は4人の顔写真と共に、静岡県警が強盗殺人などの疑いで捜査を始めたという一報を掲載した。
約1カ月半後の8月18日。被害者の勤務先で働いていた袴田巌さんの逮捕状を県警が取ったことが明らかになった。同日付の本紙夕刊も「従業員『袴田』に逮捕状」との見出しで袴田さんの実名と顔写真を載せている。
当時は新聞各紙とも「袴田巌」「袴田」と呼び捨てだった。県警側の見立てに沿って袴田さんにアリバイがないことや被害者から借金をしていたことなどを詳報した。
袴田さんは容疑を否認したまま18日夜に逮捕。苛烈な取り調べで追い詰められた袴田さんは9月6日に自白したとされ、7日付本紙朝刊記事は「事件は解決した」と結んだ。
供述内容を詳しく伝えた続報は、動機や凶器の入手方法などについて「自供内容がこれまでの捜査と食い違う点やあいまいな点がある」としつつ、県警側の説明を軸に「犯人」との強い推認を与えた。
静岡地検は9日、袴田さんを起訴した。本紙はその後、公判で無罪主張に転じたことや公判中に犯行着衣とされる「5点の衣類」が見つかった経緯を報じていない。弁護側から袴田さんに有利と思われる証拠が出ても、各紙とも大きくは扱わなかった。
報道各社は80年代以降、事件報道の見直しを進めている。呼び捨てをやめて容疑者呼称を原則とし、捜査機関側の主張だけでなく弁護側の反論も掲載。「犯人視」をしない報道指針をまとめている。
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