◆「これでは何が問題なのか分からない」
「政治的または宗教的な宣伝意図のある活動とみなされたため」。2023年1月、芸術団体の代表、小川正治(しょうじ)さん(57)=東京都=の元に届いた助成元からのメールには、不交付理由についてそれ以上は書かれていなかった。「これでは何が問題なのか分からない。納得いかない」 小川さんが補助金申請をしたのは、文化庁の新型コロナ対策事業「ARTS for the future(アーツ・フォー・ザ・フューチャー)!2」。文化芸術団体などを対象に、2022年中の公演や展覧会に補助金を出す内容だ。安倍元首相の国葬実施について意見を交わす宮台真司さん(左から2人目)ら。このイベントへの補助金は不交付となった=東京都練馬区で(太陽肛門工房提供)
小川さんは自身が主宰する音楽やミュージカル団体「太陽肛門工房」のイベント5件分を申請。2022年12月、このうち3件が不交付と通知された。事務局となったNPO法人や文化庁に何度も理由を問い合わせ、ようやく示された回答が先のメールだった。 3件のうち1件は「安倍『国葬』に反対する歌舞音曲と討議の集い」と題したイベント。社会学者の宮台真司さんやミュージシャン曽我部恵一さんらをゲストに招き、安倍晋三元首相の国葬を問うシンポジウムや、ロックやフォークの演奏を実施した。 一方、交付が認められた2件には、ロシアのウクライナ侵攻を巡る「戦争反対!参戦でなく停戦を!」と題したイベントもあった。「同様に政治的な内容と分かるのに、なぜ判断が分かれるのか。基準があいまいすぎる」◆第三者機関は文化庁の対応を「違法」と指摘したが…
小川さんが不交付を不服として行政不服審査制度に基づく審査請求をすると、文化庁側は「政治的または宗教的な宣伝意図を有する活動」について、「行政の中立性」のために一律対象外としており、「個別の事案に応じて外形的事実を基に判断している」と主張。国葬のイベントは、特定の政治家の名前が入っていることが理由だと示した。 だが、補助対象外の活動については同じ文言が募集要項に小さく書かれているだけ。具体的な基準や事例も示されていなかったという。 基準の不明確さについては、審査請求の過程で文化庁から諮問を受けた行政不服審査会も問題視した。昨年12月に出した答申で、「『政治的または宗教的な宣伝意図を有する活動』という表現は抽象的であいまい」と指摘。イベントの名称だけでなく活動内容も踏まえて判断すべきだとした上で、「活動内容のどの点をもって特定の政治的宣伝意図の有無を判断したのか明らかでない」などとし、不交付決定は裁量権の逸脱または乱用にあたり「違法」と結論づけた。補助対象外の活動について記す募集要項(写真左下、下線は本紙が加筆)。行政不服審査会が「抽象的であいまい」と指摘した
ところが、文化庁は今年2月、答申と異なり「基準は明確」だとし、小川さん側の請求を退ける裁決を出した。小川さんは7月末、この裁決の取り消しを求めて東京地裁に提訴した。 この支援事業自体は終了しているが、文化行政の対応に危機感を募らせる。「今後も公的支援がこんな漠然とした基準で決まるなら、芸術家側が政権にアジャスト(順応)する表現しかできなくなるはずだ」◆批判を恐れての対応? 招くのは芸術家側の萎縮
武蔵野美術大の志田陽子教授(憲法学)は、不交付となった国葬反対イベントについて「タイトルだけで判断せず、国葬を考える機会を市民に提供する公共的価値をもった企画とみる余地はなかったか」と述べる。そもそも文化庁が募集時に示した除外理由の基準を「対象が不明確で広範すぎる。『特定の政治家、政党や宗教団体への支持または不支持』ぐらい具体的にする必要があった」とみる。 本来、文化芸術への公的支援には、自由な表現活動を支える役割があると強調。中立的な運用は原則とした上で、「公的機関側は批判を恐れて『ことなかれ自粛』に陥りがち。芸術には政治的テーマや宗教文化のルーツと切り離せない場合もあるが、漠然とした基準の下では、恣意(しい)的にはじかれてしまうリスクがある」と指摘する。支援を得たい芸術家側の萎縮も招き、悪循環に陥りかねない。 「こちら特報部」は補助対象外とする条件の根拠などを文化庁に尋ねたが、6日までに回答がなかった。◆最高裁判決も「あいまい基準」に警鐘
今回と似ているのが、出演者の薬物事件を理由に、映画「宮本から君へ」への公的助成金が不交付となり、訴訟に発展した問題だ。助成元で文化庁所管の独立行政法人は「公益性の観点」から助成は不相当と主張したが、昨年11月の最高裁第2小法廷判決は「公益は抽象的な概念。助成対象の選別基準が不明確にならざるをえず、表現内容を萎縮させる恐れがある」と指摘。 交付判断で公益性を重視できるのは「重要な公益が害される具体的な危険がある場合に限られる」と明示し、不交付決定が違法とした。文化芸術への公的助成金を巡り、「あいまいな基準での選別」に警鐘を鳴らした判断だった。最高裁判所
日本では文化芸術への公的支援はもとより、予算自体が潤沢ではない。2021年度の文化庁などの共同研究報告書によると、文化行政の国民1人当たりの支出額は、フランスの7363円、韓国の7204円に対し、日本は913円(当初予算額は約1075億円)にとどまる。 欧米では、公的機関が文化行政に資金を出しても芸術表現の自由を尊重する「アームズ・レングス」と呼ばれる原則が浸透している。志田教授は「支援にあたり、公的機関はすべて行政の裁量に委ねられていると捉えず、芸術家の萎縮を最低限に抑えながら表現活動を支援する姿勢が求められている」と話す。◆「行政不服審査制度」を骨抜きにされたら何が起きるのか
さらに小川さんの団体の問題では、審査請求で、不交付を違法とした行政不服審査会の答申が否定される事態が発生。行政不服審査制度上の問題も浮かんだ。 市民が行政処分を違法や不当として不服を申し立てる同制度では、2014年の法改正で、有識者でつくる第三者機関への諮問・答申の仕組みを導入。処分元の行政機関と、申し立てを受けて審査する行政機関が同一になる場合があり、審査をより客観的に補い公平にする目的だ。情報公開制度でも先行して導入されている。「あいまいな基準での不交付は納得いかない」と話す小川正治さん=東京都千代田区で
第三者機関の答申に法的拘束力はないが、岡山大の南川和宣教授(行政法)は「公平性確保という法の趣旨からして答申は尊重すべきだ。情報公開制度でも答申に沿った裁決を行う実務は積み重ねられている」と指摘する。 数少ない似た事例として、森友学園を巡る財務省の公文書改ざん問題がある。自死した元職員の遺族が求めた文書開示について、情報公開・個人情報保護審査会が不開示決定を取り消すよう答申したが、財務省が請求を退けた。 南川教授は「今回の事例は森友問題と同様に国側の暴挙といえる。行政不服審査制度は申立人の権利救済手段であると同時に、違法不当な行政活動を是正させる重要な手段。同様の例が頻発して市民の信頼が失われ、制度が機能不全となれば、社会にとっても大きなマイナスだ」と警告した。◆デスクメモ
安倍氏の国葬を巡っては岸田政権が実施を閣議決定する一方、国会審議を経ない国費支出は妥当か、国民への弔意の強要に当たるとの批判も上がり、議論を呼んだ。政治への疑問や怒りから生まれる文化芸術もある。お上にはじかれにくい無色透明な表現ばかりになってはつまらない。(恭) 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。