曽我ひとみさんと母親のミヨシさんは、46年前の1978年8月12日、新潟県佐渡市で北朝鮮に拉致され、2002年に曽我ひとみさんは帰国を果たしましたが、ことし12月に93歳の誕生日を迎えるミヨシさんの消息はいまもわかっていません。

曽我さんは、今月15日で帰国から22年になるのを前に、6日、佐渡市のイベント会場で、すべての拉致被害者の1日も早い帰国を求める署名活動を行い、会場を訪れた人たちが次々と応じていました。

署名活動のあと曽我さんは記者団に対し「帰国してから22年となり、北朝鮮にいた24年間とほぼ同じくらいの月日が過ぎてしまいました。この間、夫を亡くしたり娘たちが家庭を持ったりといろいろなことがありましたが、最愛の母とまだ会えていないことが1番心残りです」と話しました。

また、記者団が、石破総理大臣が自民党の総裁選挙で訴えた、東京と北朝鮮のピョンヤンにそれぞれ連絡事務所を開設し交渉の足がかりを作るという政策について質問したのに対し、「北朝鮮の時間延ばしが考えられるので私自身としてはあまり賛成したくないです」と述べました。

そのうえで「石破総理大臣にはとにかく1日も早く日朝交渉の場を作ってもらい、すべての拉致被害者の帰国の実現に向かって全力で取り組んでほしいです」と述べ、拉致問題の早期解決に向けた政府の対応を求めました。

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