元日の能登半島地震で被災後も先祖代々の田んぼを大事に守り続けた父は、濁流にのみ込まれた。「踏んだり蹴ったりだ。どうしてこんなことになってしまったのか」。石川県輪島市の塚田川の下流で遺体が見つかった尊谷(そんたに)松夫さん(89)=同市堀町=の長男敬蔵さん(63)は23日、市内の葬儀場で声を絞り出した。松夫さんの実弟、前川政二さん(80)は、今も安否が分からないままだ。(城石愛麻)

氾濫した塚田川で、安否不明者を捜索する警察官ら=23日、石川・輪島市久手川町

◆間もなく脱穀予定 食べてもらうのを楽しみに

 弟が暮らす同市久手川町(ふてがわまち)の実家は地震で全壊。それでも松夫さんは「地震でひどい目に遭っても田んぼはするんだ」と市内の仮設住宅から車で実家に毎日通い、弟と一緒に近くの田んぼで農作業を続けた。手作業で田植えをし、稲刈りも終えて間もなく脱穀する予定だった。敬蔵さんは「家族や親戚に配り、食べてもらうのを楽しみにしていた。今年の新米にしようね、と話していたのに」と悔やむ。  能登地方に大雨が降った21日午前、松夫さんから敬蔵さんに電話があった。「いつもと雨の様子が違う。仮設に戻る」。昼前に敬蔵さんが仮設住宅へ様子を見に行くと、父の姿はなかった。警察や消防から、実家の目の前を流れる塚田川が氾濫していると聞き「どこかで生きていてくれ」と願った。

◆「2人一緒に見つかってほしかったのに」

 だが22日、実家を訪れると、跡形もなくなっていた。「あぜんとした」。地震後、7月に仮設住宅に入居するまで、松夫さんは毎日のように寝起きするほど、実家を大切にしていた。敬蔵さんは「何か手掛かりはないか」と父を捜し回ったが、同日午後、警察から遺体発見の連絡を受けた。  松夫さんが見つかったのは、塚田川下流の流木が集まっている場所だったという。「見当違いの場所を捜していた。本当に、言葉も出ない」。弟の前川さんは今も安否が分からない。敬蔵さんは「2人一緒に見つかってほしかったのに」と目を赤くした。 

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