◆「自動販売機で使えない」?
2日昼、東京都北区のJR王子駅前。新1万円札の肖像の渋沢栄一が生前に居を構えた地で、「こちら特報部」は街の人に新紙幣を持っているか聞いてみた。新1万円札をPRする看板=東京都北区のJR王子駅前
「昨日、2枚の新1000円札を手にしたのが初めてよ。近くの十条銀座商店街でいつも買い物するけど、お釣りでもらうことも一度もなかったから」。区内に暮らす吉田良子さん(77)はこう語った。バスを待っていた中学1年、松本尊さん(12)も「一度も手にしていない」とのこと。「友達が『自動販売機で使えない』と騒いでいたのを耳にしたぐらい」◆飲料自販機のうち、新紙幣対応は「2〜3割ほど」
日本自動販売システム機械工業会によると、国内の約220万台の飲料自販機のうち、新紙幣に対応しているのは2〜3割ほどだ。担当者は「1カ月前とほぼ変化はない。前回、2004年に発行された新紙幣は、世の中に流通するのに1、2年ほどかかっていた。クレームを避けるため、そのぐらいの時期には対応を終えるのでは」と語った。王子駅前の複合文化施設内に設けられた渋沢栄一特設展示場。記者はしばらく待ったが、来場者に会えなかった
自販機の中でも、たばこは特に対応機が少ないようだ。主要な購入先はコンビニに移行している上、自販機で成人を識別するシステム「タスポ」の運用が2026年3月末で終わる。全国たばこ販売協同組合連合会の担当者は「古いたばこ自販機の更新には費用がかさみ、対応に踏み切る店主さんは少ない」と話す。◆キャッシュレス化の勢いは強まるばかり
王子駅前の立ち食いそば店では、食券機は交通系ICカードには対応していたものの、新500円硬貨と新紙幣は未対応だった。年配の男性店員は「新紙幣を使ったのは朝から2人だけ」。今のところ、従業員が両替で対応すれば「問題ない」という認識だ。 飲食チェーンの「グローバルダイニング」(東京)は1月から、運営店舗の完全キャッシュレス化にかじを切った。新紙幣発行に先駆けた方針転換について、広報担当者は「2018年からキャッシュレス対応を進める中で、利用客の現金での支払いが少なく、5年間で社会が変わってきたと判断した」と説明し、「新紙幣になれば、機器の更新が必要になる。その前に切り替えた」と続けた。特にトラブルはないという。両替を終え、20年ぶりに発行された新紙幣を手にする女性客=名古屋市中区の三菱UFJ銀行名古屋営業部で
キャッシュレス化の波はバス業界にも。国土交通省は先月、路線バスの規定を見直し、運賃の支払い方法に現金がなくても、運行が認められる内容にした。まず、全国で10路線を対象に「完全キャッシュレスバス」の実証運行を始める予定で、今月末をめどに参加事業者を選考するという。 国交省の担当者は「新紙幣発行とタイミングが重なったのは偶然だが、一部の事業者にとって、運賃箱の設置や事業所への現金輸送を省けるキャッシュレス化の意義は大きい」と強調。日本バス協会の担当者は「新紙幣への反応は各社まちまちだ。完全に対応済み、切り替え中のほか、新機器の費用面の懸念から未対応の事業者もいる。完全キャッシュレス化が進む将来を見据えた動きもある」と話す。◆偽造防止のためだけど…近年は偽造自体が激減している
日銀は本年度末までに74億8000万枚の新紙幣を刷る計画だ。このうち2億8000万枚、1兆6000億円分を第1弾として、7月3日に発行。金融機関に引き渡した。1カ月が経過し、どれくらい発行されたのか。「こちら特報部」が日銀に問い合わせたが、発行枚数のデータは現時点では持ち合わせていないという。新紙幣の発行開始に当たり、あいさつする日銀の植田和男総裁=7月3日、東京都中央区の日銀本店
発券局の担当者は「各銀行からの需要に応じて発行している」と述べるにとどめ、盛り上がり度の評価については「コメントする立場にはない」とした。 新紙幣の発行目的は偽造防止。担当者は「前回の発行から20年が経過し、印刷技術の進歩などを踏まえて改めることになった」と説明した。 新紙幣は、最新の技術として肖像が回転して立体的に見える「3Dホログラム」を世界で初めて採用。すかしにも高精細な模様を入れるなどしており、高度な偽造対策が施されている。 だが警察庁の資料によると、昨年発見された偽造紙幣は681枚で、2000年以降のピークだった04年の2万5858枚の30分の1以下に激減している。ある警察幹部は「インターネットバンキング口座への不正アクセスなどで一度に大金をだまし取れる。紙幣の偽造はコストに見合わなくなっている」と話す。 むしろ新紙幣発行に伴って、警察庁は便乗した犯罪への警戒を呼びかける。高齢者が金融機関職員をかたる人物から「新紙幣交換のためお金を取りに行く」との電話を受け、訪ねてきた人に現金をだまし取られる被害も発生しているという。◆経済効果はどうか…「利上げの方がまだ効果がある」
新紙幣がもたらす副次効果としてしばしば挙げられるのが、現金を銀行に預けず手元に置く「タンス預金」のあぶり出し効果だ。旧札を手放そうという心理がはたらき、経済活性化につながるという見方がある。 第一生命経済研究所の熊野英生首席エコノミストの試算では、前回04年の新紙幣発行時、約27兆円あったタンス預金が7.5%減った。長い低金利の末、現在のタンス預金は約60兆円とみる。「一昨年からインフレが進み、現金の価値が下がり続けている。今回も旧札を金や外貨に替える動きはあるだろう」と推察する。 一方、野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストは「旧札を新札に替える動きがあるかもしれないが、影響は小さいだろう」とし、先月末に日銀が決めた政策金利(短期金利)の「0.25%程度」への引き上げに触れて「こちらのほうがまだ効果はあるだろう」と話した。◆「券売機メーカーなど一部の業界だけが利益を得る」
券売機やATMの更新など、新紙幣発行に伴う経済効果も取り沙汰される。 第一生命経済研究所の永浜利広首席エコノミストは19年、今回の新紙幣発行の経済効果を1兆6000億円と試算したが、今年6月に1兆1000億円と下方修正した。永浜氏は「キャッシュレス化が進み、前回の試算時より券売機やATMの台数が減っている。負担が大きい入れ替えではなく、リースで対応する中小の事業者も多い」と説明する。2日午後、前日比2200円超下落した日経平均株価の終値を示すモニター=東京・内幸町(河口貞史撮影)
先の熊野氏は「多くの事業者に負担がもたらされ、券売機のメーカーなど一部の業界だけが利益を得る状況をはたしてプラスと言えるのか」と疑問を呈し、こう続けた。「新紙幣発行はキャッシュレス化へのさらなる後押しにすぎないのではないか」 日本の新紙幣発行は、ほぼ20年のサイクルで実施されている。前述の木内氏は30年代にはスマートフォンのアプリなどでやりとりする「デジタル通貨」が発行される可能性に言及し「キャッシュレス化が大きく進み、紙幣の流通は激減するだろう。そう考えれば、今回の新紙幣は広く利用される最後の紙幣という歴史的な意義を見いだせる」という見方を示した。◆デスクメモ
霞が関の某省地下のそば屋も「新紙幣への対応が難しいため、9月から券売機をSuica(スイカ)のみの対応にする」と張り紙を出していた。券売機は機種によっては100万円を超える。中小の事業者に無理強いはできないだろうと考える私も、いまだ新紙幣を手にしていない。(北) 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。