作品「蒼い谷 黒部赤木沢」=台東区の木版画工房アルプで

 北アルプスの名峰や山の自然美を多色摺(ず)りで魅せる「山岳版画」の世界。自ら山に登って写生し、下町の工房で江戸時代の道具や伝統技法を使い、作品づくりに励むのが杉山修さん(77)だ。この夏、版画人生を振り返る作品集「蒼(あお)い山稜(さんりょう)」を出版。それを記念した個展が27日から都内で開かれる。

摺りについて説明する杉山修さん=台東区の木版画工房アルプで

◆山岳専門の多色摺り木版画「私だけ」

 台東区の日比谷線三ノ輪駅に近い住宅街。「木版画工房アルプ」のミニ看板が掲げられたアパート1階の10畳間がアトリエだ。涼しげな甚平姿で現れた杉山さんは「いろんな版木や道具があって手狭でね。江戸市中にあまたいた版画職人たちもこんな長屋で仕事をしていたのでしょう」と笑う。

江戸時代から変わらない木版画の道具類=台東区の木版画工房アルプで

 作業机に置かれた作品は「蒼い谷 黒部赤木沢(あかぎさわ)」。かつて夏に遡行(そこう)した富山・黒部川源流域の赤木沢の渓相の美しさを版画にした。標高2千メートルほど。青く透き通る冷涼な流れが目の前に迫ってくるようだ。  同じ下図の輪郭線を6枚の版木に彫り、越前の手すき和紙に27色を摺る。30枚の限定作で、「1カ月ほどかけて、全ての作業を1人でこなす。いまや山岳専門の多色摺り木版画の作り手は私だけでしょう」。

◆1枚の絵が人生を変えた

 杉山さんは24歳の夏、1枚の絵と出合う。銀座にあった家業の青果店を手伝う中、画廊で山岳画家足立眞一郎(しんいちろう)(1904~94年)が描いたヒマラヤの銀嶺(ぎんれい)を見て、心を奪われた。間近で見てみたいと、26歳のとき親の反対を振り切り、インド経由で遠征した。  帰国後、知人の飲食店で働き、山のスケッチを始めた。風景画家の第一人者、吉田博(1876~1950年)の木版画の摺師を紹介されて手ほどきを受け、好きな山と版画が結び付いて独学でのめり込んだ。  30歳で中央区の東京証券取引所近くに焼き鳥店を開業。北アルプスは初夏の槍(やり)ケ岳や錦秋の涸沢(からさわ)、冬になれば青森・八甲田山での山スキー、海外はスイスやネパールの山を登って写生し、店の仕事を終えてから明け方まで版木に向かった。  だが65歳だった2011年、同い年の妻みどりさんががんで他界した。店を閉じて妻に追悼作品「富士拾景」をささげ、その後、版画に専念して暮らす。月1回、奥多摩や丹沢などの日帰り登山を楽しんでいる。

左から作品「深秋の富士」「山稜青春 槍ケ岳」「穂高紅葉 涸沢」

◆分業が支えた北斎の名作

 多色摺りの錦絵は江戸が誇る伝統文化だ。版元(出版社)が発行を競い、各藩の下級武士や庶民の間で江戸みやげとして広まった。明治期に印刷機の普及で衰退するが、大正時代に創作版画として再興した。  今月お目見えした新千円札の図案「富嶽(ふがく)三十六景 神奈川沖浪裏(なみうら)」は江戸後期の浮世絵師葛飾北斎の作。「絵師の名だけが知られているが、工程は彫師、摺師の分業で、人気作なら千枚は作った。和紙や顔料、刷毛(はけ)、ばれんなどの素材や道具を作る職人にも支えられてきた」と杉山さん。  現在、創立88年を迎えた日本山岳画協会の代表幹事としても忙しい。「木と和紙と顔料と墨の美しく深遠な山岳版画の世界。まだ道半ばです」と語った。

「山の版画展」を開催する杉山修さん=台東区の木版画工房アルプで

◆版画展で実演も

 杉山さんの「山の版画展」は台東区上野3のモンベル御徒町店4階サロンで8月11日まで。午前11時~午後8時(初日は正午から、最終日は午後4時まで)。版画52点を展示。会期中の午後、木版画の彫りと摺りを実演する。問い合わせは杉山さん=電090(5440)4552=へ。 文・野呂法夫/写真・五十嵐文人 ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へメールでお願いします。


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