バングラデシュで公務員採用制度を巡り、大きな混乱が起きた。独立戦争に加わった兵士の子や孫の優遇枠をなくすよう求める学生らのデモ隊が治安部隊と衝突し、100人を超える死者が発生。日本でも治安部隊の対応に抗議する集会が開かれた。公共性を持つ事柄なのに、公平さに疑問を抱かせる選抜方式は、私たちの周りにもないだろうか。(山田雄之、岸本拓也)

◆公務員採用での「血縁」優遇に、バングラデシュの学生が怒り

福岡市内で21日、抗議集会を開いた在日バングラデシュ人ら(参加者提供)

 「人の命をこんなに大切にしない国だなんて、とても悲しい」。福岡市で暮らすバングラデシュ人の女性(35)は24日、「こちら特報部」の取材に母国の状況をこう嘆いた。  バングラデシュでは今月、首都ダッカなどで学生らのデモ隊と治安部隊の衝突が激化。ロイター通信によると、22日までに少なくとも147人が亡くなった。  日本の外務省もバングラデシュの危険度を巡る判断を引き上げ、不要不急の渡航は控えるよう呼びかけている。  同国の学生らの抗議の矛先は、公務員採用時の特別枠の問題だ。1971年のパキスタンからの独立戦争に加わった兵士「フリーダムファイター」の子孫には、年間計2400〜3000の採用数のうち、3割が割り当てられてきた。  この特別枠は年によっては、8割以上埋まらず、高学歴保持者の失業率が上昇する中で批判があった。2018年には学生らが改革を求める抗議活動を展開。政府は同年、制度廃止を決定したが、高裁が今年6月、その決定を違憲として覆す判断を示し、学生らの怒りが再燃した。

◆「独立戦争から50年以上たっているのに」

 鎮圧のため銃を使う治安部隊の対応に、日本でも抗議活動が起きた。福岡市で21日、集会が開かれ、前出の女性を含めてバングラデシュ人ら約100人が参加。「学生を殺すな」や「バングラデシュに注目して」と日本語や英語で書かれたプラカードを掲げた。

「学生の命を守れ」とプラカードを持って訴える在日バングラデシュ人ら=21日、福岡市内で(参加者提供)

 女性は母国に高齢の祖母(85)がいる。「腎臓が悪く入院すべき状況だが、外出禁止令が出ている上、治安部隊の銃撃が怖くて自宅を出られない。ネット環境が遮断され、電話もつながりにくく心配だ」。特別枠については「独立戦争から50年以上たち、もう必要ない」と訴える。  集会を主催した福岡市の会社員モハンマド・ワシムさん(43)はバングラデシュにいる妹が大学卒業後、一般枠で公務員試験を受けたが採用されなかった。「国のために働きたがっていたのに、不公平な制度であきらめた。悔しい」と語気を強めた。  モハンマドさんのめいやおいも現地で抗議デモに参加した。友人の弟は大学生で、治安部隊の銃撃で目を負傷したという。「若い人たちが政府に抗議し、次々と命を落としている。バングラデシュは言論の自由が奪われている」と声を震わせた。

◆首相は「独立の父」の長女 「血縁コネ」はびこる

 情勢が緊迫する中、バングラデシュの最高裁は21日に突然、高裁の決定を覆し、特別枠の削減や撤廃は可能という判断を示した。立教大の日下部尚徳准教授(南アジア地域研究)は「混乱に直面した政府の意向をくんでの判断だろう。司法の独立が機能していないことが分かる」と指摘した。  政府を率いるハシナ首相は「バングラデシュ独立の父」とされるラーマン初代大統領の長女だ。日下部さんは特別枠を「支持層に独立運動を改めて想起させたり、支持基盤を固めたりするために政治利用されてきた」と分析。最高裁の判断で騒動は沈静化していくとみるが、「経済成長の一方で、広がる格差や高い失業率に国民が抱いている不満が噴き出した。多くの命が奪われ、分断も進んだ。代償は大きい」。

◆日本は? 公務員採用には「そんな『枠』はない」というけど

中央省庁が密集する東京・霞が関=2021年撮影

 日本の国家公務員採用にも血筋による特別枠はあるのか。「こちら特報部」が念のため尋ねると、人事院の担当者は「そんな『枠』は存在しない。平等に試験を受けて入っている」と否定した。  では、日本社会が選抜において血筋優遇と無縁かというとそうではない。例えば、一部私立大では卒業生らの子どもや孫向けの特別枠を設けている。  この特別枠は、18年に発覚した東京医大入試での女性差別などをきっかけに議論になった。文部科学省は同年の調査で、医学部医学科のある全国81大学のうち、募集要項に明示せずに卒業生の子どもを合否判定で優遇していたとして、東京医大や金沢医大、日大、昭和大を「不適切」とした。

同窓会が卒業生の子らを対象とした推薦枠を運用していたことが取りざたされている東京女子医大(資料写真)

 文科省の有識者会議は19年の最終報告書で、医学部に限らず、大学入試における卒業生の子や孫向けの枠に対し「広く社会から理解が得られるよう特別枠の必要性や募集人数、選抜方法の妥当性等について、より丁寧に説明することが必要」と注文を付けた。

◆学校なら血縁コネOKなのか 文科省は『枠』を容認

 現在も日大や、兵庫医科大や東京農大などが卒業生の子らを対象にした枠を設けている。多くが「建学の精神を受け継ぐことを期待」などと記す。文科省の担当者は「枠を設定する場合は不公正な入試にならないよう、エビデンス(根拠)に基づく丁寧な説明をお願いしている」と話し、枠自体は問題ないとの立場だ。

日大(資料写真)

 しかし、東大大学院の中村高康教授(教育社会学)は「受験生の立場から見ると、座るべき椅子が卒業生の子らの指定席になっているとなると、不公平感が強い。定員割れのような大学は、卒業生を頼って一人でも学生を集めたいという事情もあるだろうが、公平性の観点からは基本的に必要ない」と指摘する。  また、特別枠は、恵まれた親の地位が子どもに引き継がれる「社会階層の再生産」につながりかねないと説く。「私学も公金で助成を受けており、何をやっても自由というわけにはいかない。特別な枠を設ける以上は狙いや正当性を、結果の検証を含めて説明することが求められる」  文科省は卒業生の子や女性などに対する特別枠の導入状況について集計していないが、東北大の倉元直樹教授(大学入試学)は「文科省はずっと大学入試の多様化を進めてきた。増えていても不思議ではない」と話す。  ただ、その効果には懐疑的だ。「日本の大学は、ユニークな選抜で入試そのものをブランディング戦略にしてきたが、世間から特権的なイメージを持たれてマイナスに働くこともある。特に競争の激しい医学部などで、卒業生の子どもらのための枠を作ると、『ずるい』と批判を受ける可能性は高く、受験生からは『そう見られるのも嫌』と、敬遠されることもあり得る」

◆政治家は世襲だらけ 自民元幹事長も息子に跡を譲り

二階俊博氏=2020年

 日本の公職で子や孫向けの枠が拡大しているように見えるのが、岸田文雄首相をはじめとする世襲だらけの政界だ。自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金問題で渦中にいた二階俊博元幹事長も次期衆院選には出馬せず、息子が選挙区を引き継ぐことになった。  長年日本政界をウオッチしてきたジャーナリストの鈴木哲夫さんは「政治が家業になってしまい、財産や人間関係を含めて引き継ぐ一族優遇によって、女性を含めて多様な人材が政界に入りにくくなっている」と既得権益化する構造に警鐘を鳴らす。「各政党が率先して世襲を行わない方針を打ち出すなど、現状を変えていく必要がある」と強調した。

◆デスクメモ

 国や分野を問わず、優遇される階層の固定化は不満や不公平感の源となり、社会の活力を奪う恐れがある。特別な枠は本来、弱者を守り、多様な人材が活躍するために設けられるべきだろう。「結局は親ガチャ」というあきらめを生じさせ、特権階級をつくるような枠ならいらない。(北) 

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