心臓がけいれんする「心室細動」を起こした人に電気ショックを与え、正常に戻す医療機器AED(自動体外式除細動器)が、一般の人でも扱えるようになってから今年7月で20年。14日、東京都千代田区の有楽町朝日ホールで「AED20周年記念シンポジウム」が開かれ、「あって当たり前から当たり前に使用するものに」というテーマで、使用率を上げるための議論が交わされた。

 主催団体によると、AEDはこの20年間で普及が進み、現在の街中への設置数は推計約70万台。これまでに約8千人が一般市民によるAED使用で救われたという。一方で使用率はまだ低い水準にとどまっており、この日は、小学生から救命のための教育を行うことや、すぐに取り寄せるためデジタルを活用することなどが議論された。

 また、AEDで心停止から救われた人や、救命に関わった人も登壇。2005年の愛知万博の会場で倒れ、近くにいた医大生らにAEDなどによって助けられた牛田尊さんは、「倒れた方を見たら、考えず、悩まず、ちゅうちょせず、駆け寄っていただけたらと思います」と訴えた。3年前、バスケ部の指導中に倒れた中学校教師、越川崇憲さんと、当時中学2年生の部員で救助に参加した小野蒼平さんも体験談を語り、越川さんは「生徒が助けてくれたと聞いて、また生きるチャンスをもらえたと感激した」と振り返った。

 シンポジウムには、日本AED財団名誉総裁の高円宮妃久子さまも出席。AEDを「まずは使ってみる、という意識こそが今の私たちに求められている感覚なのではないでしょうか」と訴え、来場者に「日本を、救える命を救う国、安全な国に変えていくという熱い思いをみなさまとぜひ共有したい」と呼びかけた。

 高円宮憲仁さまは02年11月、スカッシュの練習中に心室細動を起こし、47歳で急逝。2年後の04年、一般市民によるAED使用が可能になった。久子さまはAED普及を「使命」と語り、日本AED財団や日本心臓財団の名誉総裁として活動している。20周年のキャッチ・フレーズ「まず呼ぼう、AED」は、いざという時はまずAEDを現場に持ってきて使おう、という意味で、久子さまの言葉がきっかけで生まれた。(中田絢子)

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