旧優生保護法下の不妊手術から半世紀を経て、最高裁が3日、国の賠償責任を認めた。廷内には拍手が湧き起こり、正門前では涙を流し喜びを分かち合う人たちの姿があった。既に死亡した原告も少なくない中、支援者たちは国による速やかな謝罪と補償を通じた被害者全員の救済を求めた。(中山岳、太田理英子)

◆「国が長年、いいかげんなことをしてきたことがはっきりした」

 「長かったが、ようやくここ(勝訴)まできて、本当に良かった」。原告で70代の飯塚淳子さん=仮名、宮城県=は判決後、最高裁正門前で、目を細めた。

最高裁判決を受け、記者会見する飯塚淳子さん(仮名)=3日、東京・永田町の衆院第1議員会館で、坂本亜由理撮影

 障害はなかったが知的障害者施設に入れられ、16歳の時に説明なく手術を受けさせられた。結婚後、優しく信頼していた夫に手術のことを打ち明けると周囲の態度が一変。夫の親族らが離婚を迫り、夫は去った。  1997年から支援者とともに国に謝罪を求める活動をしたが、国側は「当時は合法」として取り合わなかった。2013年、仙台市内の法律相談会で、後に原告側弁護団の共同代表となる新里宏二弁護士と出会い、18年に提訴。一、二審とも敗訴したが、ようやく救済の道が開かれた。「国が長年、いいかげんなことをしてきたことがはっきりした。きちんと謝罪と補償をしてほしい」  新里弁護士も「被害者が勇気を持って声を上げたことで最高裁を動かし、社会を変えることができると示した」と飯塚さんらをたたえた。

◆亡くなった方にも、親の墓前にも「勝ちました」と報告したい

 14歳の時、仙台市内の児童福祉施設で手術を強制された北三郎さん(81)=仮名、東京都=は、最高裁正門前で自ら「今までありがとございます」と書いた紙を掲げ、支援者の拍手を受けて笑みを浮かべた。

最高裁判決を受けた記者会見の終了後、「勝訴」などと書かれた紙を掲げる原告ら=3日、東京・永田町の衆院第1議員会館で、坂本亜由理撮影

 手術のことは誰にも言えず、約40年連れ添った妻にも13年に死別する直前まで明かせなかった。18年の提訴後は、2万5000人の被害者全員の救済を願い、手作りのウメやアジサイの造花を各地の原告らに届けてきた。  東京都内で開かれた記者会見では「私一人では(勝訴)できなかった。ここに来られなかった方、亡くなった方にも勝ったことを報告したい。親の墓の前で『勝ちました』と言いたい」と述べた。

◆手術が原因で20年寝たきりに…判決に涙「良かったです」

 会見では、実名で訴訟に臨んでいる原告の鈴木由美さん(68)=神戸市=が「良かったです」と涙ながらに語った。  脳性まひで、生まれつき手足が不自由。12歳の時、家族に病院に連れられて不妊手術を受けさせられた。手術が原因で約20年間も寝たきりになり、「貴重な青春時代を奪われた」と憤っていた。5月の最高裁の弁論では、他の原告と出廷して被害を訴えた。その声が届いたように、判決は国の責任を認めた。  「私たちと同じように苦しい方が多くいる。この判決を第一歩に、誰もが当たり前に暮らせる世界を、弁護団と歩んでいきたい」 

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