30年前の1994年6月27日の深夜、松本市の住宅街で起きた「松本サリン事件」では8人が死亡し、140人以上が被害を受けました。

事件は、当時、行われていたオウム真理教の施設に関連する裁判を妨害する目的で教団の元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚の指示で実行され、裁判所の職員宿舎が狙われました。

松本サリン事件や地下鉄サリン事件などを含むオウム真理教による一連の事件では192人が起訴され、死刑判決が確定した13人の元幹部については、2018年に刑が執行されました。

しかし、オウム真理教から名前を変えた「アレフ」や教団から分かれた「ひかりの輪」「山田らの集団」は、今も活動を続け、一連の事件の被害者や遺族を支援する団体に対する賠償金も10億余りが未払いのままです。

事件で1人が亡くなった会社の寮の跡地には献花台が設けられ、犠牲者を悼む住民などが訪れていて、献花台を設置した町会の吉見隆男 町会長は「もう30年たったのかという思いです。これを機に事件について考えてほしい」と話しています。

次男を亡くした女性“事件を忘れず広く知ってほしい”

松本サリン事件で当時23歳だった次男を亡くした女性が取材に応じ、30年たっても家族を失った悲しみから立ち直ることができない胸の内を明かすとともに、事件を忘れずに犠牲者がいることを広く知ってほしいと訴えました。

静岡県掛川市に住む小林房枝さん(82)は松本サリン事件で、次男の豊さんを23歳の若さで亡くしました。

豊さんは東京の電機メーカーに勤務していて、当時、長期出張の滞在先だった松本市のアパートで犠牲になりました。

事件翌日に、警察署で変わり果てた姿の豊さんと対面した際は眠っているように感じて涙も出なかった小林さんですが、葬儀を終えると、悲しみのどん底に突き落とされたと言います。

当時について「胸の中に鉛がたまっているみたいで、とにかく死にたいという思いがいっぱいでした。3年間は安定剤と抗うつ剤を飲んでいました」と振り返っています。

その後、オウム真理教に対する捜査が進み事件を首謀した麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚らが起訴され、2018年には一連の事件で死刑判決が確定した13人全員の刑が執行されました。

小林さんはこのときの心境について「死刑が執行されたことを聞いた時、今までそれを自分が望んでいたのに、胸がドキドキして、自分でも考えられないような感情が湧いてきました。これで憎むべき標的がなくなりやれやれだなと思いました。よかったとかうれしいとか、そういう感情は全くなかったです」と話しています。

最愛の息子を奪われてから30年。

今も月命日の前後に豊さんの墓を訪れることを欠かさない小林さんは「私たちにとっては10年、20年、30年というのは全く関係ないです。オウムがどんな団体なのかはずっと伝えていかなければならないと思っていますし、こういう犠牲者がいるんだよということを広く知ってほしいです」と話しています。

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