<裁かれる差別 7.3 強制不妊訴訟最高裁判決>②  旧優生保護法は制定当初、強制不妊手術の対象を遺伝性疾患のある人などに限っていたが、法改正を重ねて遺伝しない知的障害や精神疾患のある人へと拡大。国が旗振り役となり、自治体も手術を積極的に推し進めた結果、法の対象外の人にまで広がっていった。(太田理英子)

◆入所の翌年 説明なく背骨に注射打たれ

1日も早い救済を求める北三郎さん(仮名)=東京都で(市川和宏撮影)

 「同じ施設で、自分も含め4人が手術を受けた。皆、障害はなかったと思う」。東京都の北三郎さん(仮名、81)は仙台市の児童福祉施設にいた1957年4月、不妊手術を強いられた。  けんかなどの問題行動を起こし、13歳で入所。家庭で過ごせない50人以上と暮らした。14歳の春、何の説明もなく職員に連れられて病院へ。背骨に注射を打たれ、意識がもうろうとしている間に手術された。  その後、施設の先輩から子どもができなくなる手術だと聞かされ、不安に襲われた。他の子どもに「逃げろ!」と訴えたが、ある女の子は「逃げても行くところがない」と泣いていた。

◆母を恨み死の床の手を振り払った

1日も早い救済を求める北三郎さん(仮名)=東京都で(市川和宏撮影)

 18歳で逃げるように故郷を去り、上京。28歳で4歳下の女性と結婚した。子どもを欲しがる妻に、できない理由を「昔、はしかで高熱が出たせいかな」とごまかした。養子も考えたが妻は「あなたの子がいい」。胸が痛んだが、手術は恥ずかしいことだと思い詰め、40年以上隠し続けた。ようやく打ち明けられたのは、妻が66歳で病死する3日前。泣きながら頭を下げると、妻は「ごはんはちゃんと食べてね」とだけ口にした。それが最後の会話となった。  ずっと手術は両親と施設のせいだと恨んだ。母が死去する前日に対面した時には、握ってきた手を思わず振り払った。ところが2018年1月、宮城県の女性が訴訟を起こしたとの報道で、手術は国が進めたものと知った。「人生を返せ」。激しい怒りに駆られ、自分も国と闘うと決めた。  各地の原告は高齢で、亡くなった人もいる。「生きているうちに2万5000人の被害者が納得できる解決を。『国が謝ってくれた』と妻、両親に伝えたい」

◆遺伝性「不詳」でも手術適合 ずさんな審査

「地域ごとの被害実態は十分解明されていない」と話す船橋秀彦さん=茨城県で

 複数の自治体に手術に関する情報公開請求をした元特別支援学校教員の船橋秀彦さん(69)=茨城県=は「自治体が不幸を減らすとの使命感で積極的に手術を進め、厳格な手続きをせずに実施したケースもあった」と話す。  北さんがいた宮城県は、旧法の徹底を推進する「県民運動」を展開。県が開示した手術の適否を決める審査会の資料からは、対象者の障害の遺伝性が「不詳」なのに、保護者の同意なく手術ができる「遺伝性疾患」とみなすなど、ずさんな審査で決めたケースが複数あった。県が病院に早急な手術実施を求めた通知も見つかった。  昨年に国会が公表した調査結果は、都道府県名は伏せられ地域ごとの実態は不明。子宮摘出など旧法が認めない手術が実施されたケースも報告されたが、経緯は十分に分析されていない。船橋さんは最高裁判決で終わりではないと訴える。「手術が広がった構造と歴史的経緯を明らかにするべきであり、第三者の検証が不可欠だ」

船橋秀彦さんらの情報公開請求で開示された宮城県の「優生保護審査会」の名簿。医師、県議や家裁判事が名を連ねる

旧優生保護法 「不良な子孫の出生を防止する」という目的で、1948年に議員立法で制定。本人の同意がなくても、遺伝性疾患や知的障害などを理由に不妊手術や人工妊娠中絶手術をすることを認めた。96年に差別に当たる条文が削除され、母体保護法に改称。2023年公表の国会調査報告書によると、約2万5000人に手術が行われ、うち約1万6500人は同意のない手術だった。被害者に320万円を支払う一時金支給法が19年4月に成立したが、支給件数は1110件(今年5月末時点)にとどまっている。

   ◇   ◇     <裁かれる差別 7.3 強制不妊訴訟最高裁判決>  「戦後最大の人権侵害」と言われる強制不妊手術を巡る訴訟で、最高裁が7月3日、初めての判決を言い渡す。被害の実態や背景にある問題を当事者らの証言から迫る。 連載① 恐怖で泣き叫ぶ中、強制不妊手術が始まり…当時12歳の女性の人生は国に狂わされた
連載② 「あなたの子」を欲しがる妻に隠し続けた…強制不妊手術 自治体による軽薄すぎる「推進」の歴史(この記事) 

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