慶応義塾長による中央教育審議会部会での提案を機に、国立大の学費値上げを巡る議論が活発化している。提案は、人工知能(AI)が発展する時代の人材育成には投資が必要だとして、国立大と私立大が同じ条件下で競争するための環境を整えるには、私立大に比べて安い国立大の学費の標準額を、現行の約3倍に当たる150万円程度に上げるべきだ、との内容だ。  国立大の学費は文部科学省令で標準額が定められ、大学の裁量で最大2割まで上乗せできる。いくつかの国立大はすでに値上げし、東京大も約10万円の値上げを検討している、という。  学費の値上げは進学を左右する。慎重な議論は当然でも私自身、疑問に思うことがある。なぜ親、つまり家庭による学費の負担を前提にしなければならないのか、と。  親の経済力を頼みにする限り、経済力が弱い家庭の子は国立大への進学さえ簡単ではない。親に経済力があっても学費を出してもらえなければ進学はそもそも難しい。大学進学は親の経済力や意向に左右されるのが現実だ。  私の高校時代の同級生がそうだった。大学受験のころにいろいろなことを話すうち、彼女は私立大も受けたいけれど国立大しか受けられないと言った。父親が新車を買ったばかりで私立大には経済的に行かせられないと言われたそうだ。彼女の兄は私立大に通っていたのに。「女の子は無理して大学に行かなくてもいい」とまで言われ、国立大を落ちた彼女は結局、大学進学を諦めた。  娘の進学よりも新車が優先なのかと驚きながらも、それぞれの家に考え方があり、仕方がないことだと当時の私は思った。友だちの悲しそうな顔が今も浮かんでくる。  自分が大学生になって、欧州出身の学生に母国では大学の学費も無償だと聞いて驚いた。日本では無償は義務教育の小中学校だけだ。それすら厳密には給食費や教材費など有償のものが多く残る。  欧州ではなぜ高等教育までもが無償にできるのか。教育は公共財との考え方に支えられていると、後に知った。  対照的なのが米国だ。世界的に有名な私立大も多く、大学の学費は日本の私立大をも上回る。高等教育で享受する利益は将来、稼ぐ力となって学生本人に返ってくるという考え方が基本にある。  慶応義塾長の発言が一定程度受け入れられるように、日本でも米国流の発想が強まっているが、教育政策に関わる人は、これまで培ってきた教育は公共財という考え方も忘れないでほしい、と願う。  民法改正で成人年齢は18歳に引き下げられた。成人なら大学進学は親の経済力や意向に左右されず、自ら決めるというのが理想だろう。  国立大の学費を引き上げるのではなく、私立大の学費を引き下げるか、いっそ無償化すればいい。親頼みから抜け出すためには。(論説委員)


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