ノルウェーの首都オスロにあるノーベル平和センターでは、毎年、受賞者に関連する展示を行っていて、12日からは日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会をテーマとした展示会が始まります。

これを前に11日、広島と長崎の被爆者やノーベル委員会のフリードネス委員長などが出席して開会式が開かれ、田中熙巳代表委員があいさつしました。

田中さんは「核兵器は、被害の中身を実際に目で見て耳で聞き、頭で考え、心で受け止めることがないかぎり廃絶への努力はできない。そのために見たり聞いたりする場所が必要であり、その中で被爆者の真実の声を聞くことが一番大事だ」と述べました。

そして3人の代表委員に、建築家の隈研吾さんが制作した被爆者の証言をテーマにした木製のオブジェが手渡されたあと3人で「オープン」と声をそろえて開会を宣言しました。

日本被団協をテーマにした展示会は、来年11月まで開かれます。

オスロ大学で代表団メンバーによる被爆証言会

日本被団協の代表団のメンバーがノルウェーの首都オスロで被爆証言を行い、地元の大学生など多くの参加者が耳を傾けました。

証言会は現地の複数のNGOによってノルウェーのオスロ大学で行われ、大学生のほか、幅広い年代が集まりました。

このなかでは、日本被団協の代表団のメンバーでいずれも代表理事を務める、松山市の松浦秀人さん(79)と名古屋市の金本弘さん(80)、それに被爆2世としては初めて代表理事になった松江市の本間恵美子さん(74)の3人が証言を行いました。

このうち松浦さんは、みずからが母親のおなかの中で被爆した「胎内被爆者」だと紹介したうえで、「報復の連鎖を断ち切り、不幸な出来事は繰り返さない『ノーモアの精神』を大切にしてほしい」と呼びかけました。

また、本間さんは参加者から「被爆体験を思い出したくない人もいる中、話し始めたのはなぜか」と問われ、「母親に原爆について聞いても『ひどかった』としか言ってくれず、平和記念式典の中継も『すぐに消してちょうだい』と言われた。被爆者は高齢化しており、少しでも母が語らなかったものを語らなくてはいけないと思った」と答えていました。

証言を聞いたノルウェーの大学生は「とても力強いメッセージでした。現在まで続く影響についてもよく分かりました」と話していました。

証言をした人は

証言を終えた松浦秀人さんは、「思っていることを率直に申し上げ、非常に多くの人に熱心に聞いていただいた。私たち被爆者が伝えたいことをしっかり受け止めてくれたと思う。人道的な兵器はないが、とりわけ核兵器はだめだ。放射能の影響も含め、恐ろしさをこれからも伝えていきたい」と話していました。

また、被爆2世の本間恵美子さんは、「母は被爆の話は全くしなかったが、その気持ちを私が伝えることで分かってもらいたいと思った。被爆当日のことだけでなく、その後の人生に及ぼした影響についても、熱心に聞いてもらえてうれしかった。被爆者団体の活動の中心は被爆2世にかわっていく時だと思うので、2世の私たちが被爆者の思いをつないで、間接的にはなるけれども伝えていく必要がある」と話していました。

オスロの高校では約200人の生徒に証言

日本被団協のノーベル平和賞の受賞から一夜明けた11日、代表団の被爆者たちがオスロの高校を訪問し、原爆がもたらした悲惨な現実を証言しました。

ノルウェーの首都オスロにある高校には、長崎で被爆した日本被団協の代表理事を務める横山照子さん(83)など3人の被爆者が招かれ、およそ200人の生徒を前に原爆の悲惨さを証言しました。

このなかで横山さんは、爆心地から4.1キロの自宅で被爆した3つ下の妹、律子さんのことを振り返り、治療のため学校に満足に通えず、44歳で亡くなるまでほとんどを病床で過ごしたことを語りました。

そのうえで、「被爆者はいろんな形で悔しい思いをしながら生き、早くに亡くなっていかなければならなかった人もたくさんいた。たった1発の原子爆弾で何万の人たちが亡くなり、身体や心、希望を失わせる。そういう原爆はこの地球上には1発もいらない」と述べ、核兵器廃絶に向けて若い世代に行動してほしいと呼びかけました。

証言を聴いた高校生は「原爆について、ただ爆発したものとしか思っていなかったが、多くの人がさまざまな形で影響を受けたことが理解できた。核兵器がもたらす被害の実態を理解し、現状に変化をもたらしていけるよう努力していきたい」と話していました。

被爆者で医師の朝長さんは若者との対話集会に参加

ノーベル平和賞の授賞式に合わせて、ノルウェーの首都オスロを訪れている長崎の被爆者で医師の朝長万左男さんが、若者との対話集会に参加し、原爆による人体への影響が生涯にわたって続くことを伝えました。

オスロ大学の講堂で11日行われた対話集会には、現地の高校生や大学生などおよそ70人が集まり、長崎の被爆者で医師の朝長万左男さんと広島の被爆者の小倉桂子さんが講話を行いました。

このうち朝長さんは、原爆の熱線で背中に赤い大やけどを負った谷口稜曄さんなどの写真を紹介し、原爆による人体への被害がいかに大きいかを伝えました。

また、原爆投下後からがんや白血病の患者が増えていったことを示すグラフを示しながら、「原爆の放射線の影響は生涯にわたって続くことをしっかりと覚えていてほしい」と訴えました。

そして、講話の最後に朝長さんは「核軍拡の時代を生きていて大変だと思うが、核兵器をなくすことは次世代のあなたたちの責任でもある」と述べ、若者たちに期待をかけていました。

参加した高校生は「被爆者の体験を聞いて、涙が出てきそうになった。いま安全な国にいる私たちが原爆の被害を想像するのは難しいが、今の世界の情勢を考えると、自分にも起こることかもしれない」と話していました。

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