太平洋の島国パラオのペリリュー島では、1944年の9月15日、アメリカ軍が上陸し、旧日本軍との間で激しい戦闘が始まりました。

2か月以上に及んだ戦闘で日本は1万人以上いた兵士のほとんどが命を落とし、アメリカ側も1500人以上の兵士が死亡し、激戦地の1つとされています。

この戦闘から80年となる15日、現地で式典が行われ、パラオのウィップス大統領や、日米の政府関係者、それに両国の遺族らが参加しました。

式典の中でパラオに駐在するアメリカのジョエル・エレンライク大使は「ここに私たちが集ったことは、敵どうしが憎しみを乗り越え、共通の価値観を見つけ、友人となり、平和のために協力し合えることを示している」と述べ、式典の意義を強調しました。

続いて戦没者を悼む石碑に献花が行われたあと、全員で黙とうしました。

ペリリュー島で祖父が戦死した城戸利子さんは、「80年という節目に一堂に集まって死者を悼むことは記憶をまた新たにするためにも大切だと感じました。この海を眺めながら、会ったことはない祖父ですが、その気持ちを想像したいと思います」と話していました。

式典に先立って、島内では戦争の記憶を後世に残すための博物館もオープンし、当時使われた武器や、銃弾が貫通した日本兵の水筒、日本兵が家族に宛てた手紙などが展示されています。

ペリリュー島の遺骨収集は

80年前のペリリュー島の戦闘では日本側だけで1万人以上が死亡しました。

昭和27年度から亡くなった兵士たちの遺骨収集が行われていて、厚生労働省によりますとこれまでに7799柱が収容されているということです。

一方、およそ2400人分の遺骨は今も島に残されていて、時間の経過とともに遺骨に関する情報が少なくなっています。

こうした中、おととしからは島に埋もれたままになっていた旧日本軍の戦車の発掘調査が始まりました。

これまでに2台の戦車が掘り出され、遺骨の一部や遺留品などが見つかっています。

また、ことし5月には、島の中心部付近でアメリカ軍によって1086人分の日本兵の遺骨が埋葬された「集団埋葬地」とみられる場所から2柱分にあたる遺骨が初めて見つかりました。

厚生労働省から委託を受けている日本戦没者遺骨収集推進協会は今後の調査で遺骨がさらに見つかれば、収容作業を本格化させることにしています。

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