中国の過剰生産能力が問題になる時には必ず混乱が生じる。アナリストや政策立案者などが、生産能力と生産高を混同している。

Tristan Kenderdine 東アジアとユーラシアの国家経済システムを巡り、財政と産業発展の相互関係に焦点を当てた研究を行っている。中国の行政・財政制度も分析している。

過剰生産能力という言葉は至るところで使われるが、特に欧州では中国の過剰生産に関連して聞こえる。しかし生産能力は生産高とは違う。過剰生産能力によって損害を被るのは中国の国内経済だけである。中国の貿易相手国に打撃となるのは、コストを下回る製品のダンピング(不当廉売)だ。

過剰生産能力は需要を期待し、企業が必要以上に大型の設備に投資することを意味する。資本主義経済では、市場の需要をはるかに超える生産能力がある工場に投資する企業は損失を被る。工場が設備稼働率の最適な水準を下回ることで含み損が生じる。

資本主義では企業が過剰生産能力によって損失を被る。その失敗に学び、次回は適切な規模の工場を建設するようになる。かつての東側の国々のような共産主義では過剰生産能力による損失を国が引き受け、国の犠牲になる労働者はさらに悲惨な目にあう。

これに対し、資本主義と共産主義が混じり合う中国では、国は国家の過剰投資がもたらす損失を被るかもしれないが、企業の過剰投資が招くキャピタルロスの代償を払う余裕はない。救済措置や破産させる能力がなければ、過剰生産能力が実際の生産高となり、国際市場にダンピングされる。つまり世界市場に供給する他のサプライヤーが、中国の過剰生産能力の結果として損失を被る。

米国のように市場経済が機能している国では、例えば国際市場が1リットルの大豆油を要求すれば、その需要に応えようとする企業が何社かあるかもしれない。企業によって設備稼働率は様々だ。それぞれが1リットルを生産するため、合理的に資本を配分しなければならない。操業コストと固定資本コストの両方をカバーするために競争する。

一方で、中国政府が4リットルの生産能力を持つ国有企業に投資し、25%の設備稼働率で1リットルの大豆油を市場にもたらそうと仮定する。中国の国家資本主義は世界需要に対して大きすぎるため、すでに設備投資の面で競争に敗れていることになる。

中国が米企業と競争するには1リットルの生産能力に資本を向けるべきだった。だが中国は中央集権的な国家統制経済ではない。中央政府は政策や補助金への影響力があるものの、政治の中枢は多くのことをしない。各地方政府に対し、工場に関する補助金の供与を認めているケースがほとんどだ。

中央政府は各社に設備稼働率を抑えるよう要求できるだろうか。大きな罰をちらつかせれば可能だろう。しかし、そうなれば国は地方政府の補助金主導の生産システムを使って、ソーラーパネルや半導体、ドローンを続々と製造しようとするかもしれない。国が事業への関与を強めれば、民間の起業家はドローンなどを造らない。中国経済において、過剰生産能力はこのように機能してしまう。

中国の電気自動車(EV)産業の過剰生産能力は、中国の設備投資の問題に起因する。中国が工場をフル稼働してEVを過剰に生産し、欧米や日本の自動車メーカーを破壊するような価格で輸出するからダンピングをもたらす。中国以外のEVメーカーにとって大惨事だ。欧州は、国の補助金を得た中国製の低価格製品が押し寄せていることに反発している。

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複雑な体制メカニズム
中国の過剰生産能力と過剰生産とは区別しなければならない、というケンダーダイン氏の指摘は、当たり前だが大切だ。一つには中国以外の国々にとって問題になるかどうかという分かれ目だからだが、中国経済の特性を考えるうえでも重要なポイントだ。資本主義と共産主義が混じり合った今の中国経済の構造は、過剰生産能力が過剰生産につながりがちだ、との主張は説得力がある。
ただ議論の筋道にわかりにくいところがある。問題は共産主義とか中央集権的な国家統制経済と呼ばれる体制のメカニズムの理解が難しいことだろう。この点で2021年に亡くなったハンガリーの経済学者、コルナイ・ヤーノシュ氏の仕事は参考になろう。実際、ケンダーダイン氏の指摘はコルナイ氏の議論をほうふつさせる。(編集委員 飯野克彦)

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