モノにできなかった「タレコミ」
新聞社には時折、不正に関する「タレコミ」と呼ばれる情報提供があります。私のもとにも数年前、知人を介して、ある大企業を退職したばかりだという人物から連絡が寄せられました。その企業が外部の研究機関と不適切な形で癒着しているという内容で、「当初は会社の上層部に内部告発をしたのだが、黙殺された」と非常に憤っている様子でした。
告発対象が非常に有名な企業だったこともあり、私は是非、記事につなげたいと前のめりになりました。その人物と何度も面会して話を聞き、大量の関連資料を提供してもらいました。それらをもとに独自の取材も進め、事実関係を確かめたり、何らかの事件に発展する可能性がないかと探ったりしました。
しかし結局、私はそのネタをモノにできませんでした。数カ月間をかけた様々な取材でも「疑惑」は「疑惑」のままで、確かな証拠をつかめなかったのです。「不適切な癒着だ」と確証を持てない以上、記事も書けないと判断しました。情報源の人物は私のふがいなさに失望し、「これまで提供した資料は全て破棄して下さい」と告げて私のもとを去りました。
私は隠れた不正を掘り起こすチャンスを、みすみす逃してしまったのかもしれませんし、もともと事実関係が曖昧なだけだったかもしれません。今となっては分かりませんが、いずれにしろ私はこの経験を通じ、内部告発でもたらされる情報の取り扱いの難しさを痛感しました。告発者から提供された情報はどれも怪しくみえましたが、確かめようとすると、まるでかげろうのように取材の手をすり抜けてどうしても実体がつかめなかったのです。いまだに苦い思いがぬぐえません。
告発情報の難しさ
後日、様々な企業の内部通報窓口に関わる担当者や弁護士の方々と話をする機会を通じ、多くの方が私と似たような苦労をしていることを知りました。内部告発は多くの場合、不完全な情報としてもたらされます。その中から重要でかつ確かな事実を見極め、詳細を調べたり迅速に対応策を打ち出したりするのは簡単ではありません。
ただ企業の場合、もし最初の段階で内部告発の重要性に気付けずスルーすれば、後から問題が深刻化した際に「なぜあのとき見逃したのか」と遡って批判されかねません。前も後ろも険しい道なのです。
このように内部からの告発や通報への適切な対応は至難の業といえますが、今や企業が必ず直面しなくてはならない課題でもあります。2022年6月の公益通報者保護法の改正で、企業は内部通報を受けて調査するなどの体制整備や社内での周知が求められるようになりました。従業員が300人超の企業などは内部通報窓口の設置などが義務となり、300人以下の規模でも努力義務とされました。企業の不正が発覚した際、そのきっかけが内部告発だという例も増えています。
6月テーマは「内部通報の現在地」
日経リスクインサイトの6月の特集テーマは「内部通報の現在地」です。今月に配信予定の主な記事の内容を紹介します。
内部通報制度に関し、どのような取り組みがその企業にとって有効といえるのか、約20年にわたってこの分野の実務経験を持つデロイトトーマツグループの亀井将博氏に解説していただきます。さらに日本企業への影響が大きい米国当局の動きについて、井上朗弁護士からの最新情報のリポートも配信します。その他、実際に社内調査やヒアリングで抑えるべき要点や、デジタルフォレンジック技術などとの連携についての記事、内部通報制度を所管する消費者庁の担当者による解説も準備しています。ぜひ実務の参考にしていただければ幸いです。
「企業不正の研究」では、昨年秋に発覚したNTT西日本の子会社を巡る顧客情報の大量流出事件について振り返って分析する予定です。子会社でみつかったネガティブ情報について、その重大性をいち早く判断して対応するかが問われるという点で、内部通報への対応と企業が抱える課題が重なる部分もあるように思います。
それぞれの記事は原則、火曜日と木曜日に配信しますが、本数の関係で他の曜日でも送る場合があります。午前11時半ごろのメールに気をとめておいて下さい。
この編集長便りを書いている6月3日時点で、自動車などの量産に必要な認証「型式指定」を巡りトヨタ自動車など5社に不正行為が見つかったというニュースが飛び込んできました。詳細は今後、徐々に明らかになっていくとみられますが、日本の製造業を巡る品質や検査の不正はどこまで広がるのでしょうか。そしてなぜ繰り返されてしまうのでしょうか。この問題についても、日経リスクインサイトで引き続き追いかけます。
読者の皆様からのご意見・ご要望も常に歓迎しております。ささいなことでも気軽にメールをお寄せ下さい。今月もよろしくお願いします。
(2024年6月4日、編集・植松正史 masafumi.uematsu@nex.nikkei.com)
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