<その先へ 憲法とともに⑦>
 「基地をなくして中国が攻めてきたらどうするんだ」「どんなツアーを企画しているんだ」  2015年12月の土曜。富士国際旅行社の4代目社長・太田正一さん(55)が休日出勤で東京都新宿区にあった会社に上がると、電話は鳴り続け、抗議のファクスが山のように届いていた。

「自分で見て、聞いて、何かを感じてもらう。現場に行かないと分からない」とツアーを企画する意味を話す太田正一さん=横浜市中区で

 同社は1978年から続ける沖縄ツアーで、太平洋戦争の戦跡や米軍基地を巡ったり、自衛隊配備が進む南西諸島の住民から話を直接聞いたりする企画をしてきた。2015年のツアーでは、米軍の基地建設が進む名護市辺野古の抗議現場の見学を盛り込んでいた。その見学で旅行客に立ち入り禁止区域での座り込みを促しているなどとして、違法行為のあっせんを禁じる旅行業法に抵触する可能性があると取り沙汰されたのだ。  「座り込みの強制なんて断じてしていない。私たちは旅行者を現場にお連れするだけ。どのように判断して行動するかは各自の自由だ。何より、旅行客に考えてもらう機会を提供するのが役割だと思っている」。太田さんは休日明け、観光庁に出向いて説明。同庁から行政処分されることはなかったという。  「旅行業務を通じ、平和な世界、民主的な社会の実現に貢献する」「戦争のない、地球環境や弱者の生命や権利が守られる世界をめざす」。富士国際旅行社が掲げる経営理念だ。「取引先から『憲法みたいですね』ってよく言われる。確かにその通りで、社員は私の指示ではなく、経営理念に従って仕事をしている」

◆玉音放送を担当したNHK報道副部長が後悔を元に

 海外旅行が自由化された1964年に設立され、資本系列を持たない専門旅行会社だが、一風変わっているのがツアー内容だ。前述の沖縄ツアーのように、通り一遍の観光地巡りではなく、現地で体験学習したり、地元住民と交流を図ったりして社会の現実を知る「スタディーツアー」に重きを置いている。77年には、戦争終結から間もないベトナムに日本では初めてツアーを企画し、旅行客を送り出した。

富士国際旅行社は1977年、日本で初めてベトナムへのツアーを企画した=同社提供

 昨年の高知県を巡るツアーでは、米国の太平洋ビキニ環礁での水爆実験の被災者から話を聞き、社会主義者の幸徳秋水の墓を巡った。サイパンツアーでは、第1次世界大戦後に事実上の日本の植民地となった歴史を地元住民から聞く機会を設けた。太田さんは「自分で見て、聞いて、何かを感じてもらう。現場に行かないと分からない。創業当時から引き継ぐ会社の精神」と胸を張る。  同社を創業したのは2007年に98歳で亡くなった柳沢恭雄さん。NHKで報道部副部長を務め、1945年8月の玉音放送を担当した。戦時中、直接取材をせずに、大本営発表を国民に報じていたことを悔いていたという。  国民に正しい情報が伝わっていなかった結果、悲惨な戦争が起きた―と。柳沢さんは終戦後、記者の現場取材の重要性を説く一方で「国民が自分の目で見て、真実を知ることが大切」との思いで、NHK退職後に旅行社を設立したという。  柳沢さんと直接の面識はないという太田さんだが、「柳沢は国民全員が考える機会を持ってほしいと願っていた。人権や平和、自然について、それぞれが考える力を養うことが民主主義を成り立たせる」と創業者の思いを理解する。

◆初めて添乗した沖縄のガマで衝撃を受けて

 埼玉県で生まれ育った太田さんは1993年、富士国際旅行社に入社した。「広い世界を見てみたい」との漠然とした思いだった。スタディーツアーを企画していることはもちろん、経営理念も知らなかった。だが同年8月、初めて添乗した沖縄ツアーで衝撃を受けた。  沖縄戦で負傷兵で埋め尽くされたという洞窟の糸数アブチラガマ。入ってみると中は全く見えず「真っ暗」の怖さを知った。本島中部にある米空軍の嘉手納基地の広さ、戦闘機が空を通るときの「ゴー」という体に響くほどの音に、沖縄で日々暮らす人々の気持ちを考え、本土に対して抱える思いを理解できた。  「親から話を聞いたり、本を読んだりして分かったつもりになっていた」。身をもって現場に行くことの大切さを知り、ツアーの企画作りにも熱が入った。毎年20〜30個の企画を作りながら、添乗にも積極的に取り組み、社内で最も多い年100日ほど旅行客に同行した。「さまざまな人と出会い、話を聞いたり、交流したりする中で『面白い』と思える企画が生まれる」

◆コロナ禍で実感「平和でなければ旅行ができない」

2023年5月、高知県四万十市の幸徳秋水の墓などを巡ったツアーの様子=富士国際旅行社提供

 ツアーでは宿泊先やバス会社などは現地の会社にできる限りお願いし、地元にお金が落ちるように心がける。「富士国際旅行社はもちろん、旅行客も地元も三方みんなが元気になれる。それこそが息の長い交流につながる」と考える。  地元を大切にする姿勢に助けられたのが、2001年9月の米中枢同時テロ。同年秋、担当する小学校と高校の2校が沖縄への修学旅行を予定していた。「米軍基地が多い沖縄は狙われるんじゃないか」。保護者らの不安から旅行を中止する学校が相次いだ中、太田さんは沖縄で交流していた平和ガイドに毎日連絡を取った。現地の声を学校側に届け続け、風評を払拭し実施した。  12年4月、4代目の社長に就任。15年の辺野古の抗議現場見学の騒動も大変だったが、最も厳しかったのがコロナ禍だ。「平和でなければ旅行ができない」と心から思わされた。

◆やっぱり旅行は楽しい、これからも現地主義で

 オンラインツアーを企画するなどしたが、20年度から2年続けて売り上げは95%減。感染が一時的に収まり予約が入っても、再び増えてキャンセルの繰り返しだった。「コロナはいつまで続くのか。観光業は持つんだろうか」。眠れない日が続いた。  20年秋に希望退職者を募り、社員が16人から6人に減った。「旅行業って希望して入ってくる職種だと思う。そんな人たちが辞めてしまったのは本当につらかった」。廃業も検討したが、踏みとどまらせてくれたのは長年の顧客、各地の旅行で携わってきた人たちだった。「また旅行に連れて行ってほしい」「一緒に面白いツアーを考えよう」。約700万円の支援金も集まり、21年7月に横浜市に移転して再出発した。   22年10月に海外ツアーを再開。翌11月のカンボジアツアーで成田空港に見送りに向かうと、涙があふれた。参加者がマスク越しでも笑みを浮かべているのが分かった。「やっぱり旅行って楽しいんだ」  今年10月、富士国際旅行社は創業60年を迎える。これから旅を通した国際交流に力を入れていくという。「草の根から生まれる平和がある」。06年から続く、日本人と韓国人が同じバスで東学農民戦争ゆかりの地を巡り、一緒に食事をして語り合うツアーのような企画を増やしたい。太田さんは言い切る。「スマートフォンで簡単にいろんなことを知れる時代だけど、現地に出向き、人と会わないと分からないことがたくさんある」(山田雄之)

◆デスクメモ

 平和でなければ、旅行はできない。新型コロナで都道府県をまたぐ移動の自粛を求められ、多くの人が痛感したはずだ。戦争があれば旅行で訪れることは難しくなる。自然災害でも同じだ。大型連休で大渋滞に巻き込まれるのも平和であればこそ。そう考えれば少しは気が紛れる、かも。(祐)    ◇ <連載:その先へ 憲法とともに>全7回
 ロシアのウクライナ侵攻など国際情勢の不安定化を理由に、防衛費の増額や武器輸出のルール緩和がなし崩し的に進む。平和国家の在り方が揺らぐ中、言論の自由、平等、健康で文化的な生活など、憲法が保障する権利は守られているだろうか。来年で終戦80年を迎えるのを前に、さまざまな人の姿を通して、戦後日本の礎となった憲法を見つめ直した。=おわり ①抗議活動ができる「特権」をパレスチナのために あの「約束」を果たすため、38歳女性は街頭に立つ
②精神科の「闇」を告白した医師が、差別の歴史を振り返った 世界と逆行する日本「昔も今も違憲状態」
③憲法9条を詩訳したら「戦争だとか武力による威嚇だとか永久にごめんだな」 主語を「私」にした詩人の思い
④「誰も声を上げないと為政者はやりたい放題」シールズ元メンバーは、弁護士になった今も国会前で叫び続ける
⑤「悲劇の主人公で終わらず、支える人になって」父の言葉を支えに…全盲のeスポーツ選手は「壁」のない世を目指す
⑥「金八先生」にも関わった教育書籍編集者が憂える「なし崩しにされた憲法理念」 今こそ「近現代史」を学ぶ時
⑦(この記事)


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