秋篠宮ご夫妻は、現地時間の6日、最大の都市イスタンブールの旧市街で、オスマン帝国のスルタンの命で1616年に建てられたモスクを訪ねられました。
このモスクは、内部の壁に施された青を基調としたタイルの装飾などから「ブルーモスク」と呼ばれています。
秋篠宮ご夫妻は、ステンドグラスから青みを帯びた光が差し込む荘厳な雰囲気の中、天井や壁を見上げたり説明役の宗教指導者に質問したりしながら内部を見て回られていました。
ご夫妻は、7日に、首都アンカラに戻ってから100キロほど離れた地域を訪ね、歴史研究をきっかけにトルコの人たちと交流を深めた三笠宮の発意で設立された研究機関が発掘調査を進めている遺跡などを視察したあと、帰国の途につかれます。
秋篠宮ご夫妻 両国の歴史を象徴する出来事の当事者とも懇談
今回のトルコ親善訪問で、秋篠宮ご夫妻は、危機に際して互いに助け合ってきた両国の歴史を象徴する出来事の当事者とも懇談されました。
ご夫妻は、現地時間の4日に首都アンカラで東日本大震災の発生直後に宮城県で活動したトルコの緊急援助隊の元隊長と懇談したのに続き、6日には、イスタンブールのホテルで、イラン・イラク戦争のさなかの1985年に、日本人200人余りをイランの首都テヘランから脱出させたトルコ航空機の当時の乗員5人と懇談されました。
市街地への空爆が始まり、イラクのフセイン大統領が「48時間後以降、イラン上空を飛ぶ民間機を無差別に撃墜する」とする中で行われたこの救出劇は、1890年にオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で沈没した際、日本側が献身的に救助にあたり生き残った69人の乗組員をトルコまで送り届けたことへの「恩返し」だったと言われていて、ご夫妻は、一人ひとりに感謝のことばを述べ、握手を交わされました。
これに対し元乗員5人は、「当然のことをしました」とか、「日本国民の皆様はわれわれの兄弟・姉妹です」などと話していました。
懇談のあと、元航空機関士のコライ・ギョクベルクさんは、「もしまた同じミッションを頼まれたら、いつでも準備ができていますと伝えました。おふたりと話すことができてとても誇りに思いますし、自分の子どもや孫に話すことができます」と話していました。
また、元客室乗務員のアイシェ・オザルプさんは、「39年たっても日本の方々が私たちのことを覚えていらっしゃることがとてもうれしく、とても美しい気持ちになりました」と話していました。
秋篠宮ご夫妻 今回の親善訪問の感想
秋篠宮ご夫妻は、現地時間の6日、滞在先のイスタンブールで、記者団に今回の親善訪問の感想を語られました。
トルコへの訪問は初めてで、秋篠宮さまは、「エルドアン大統領閣下ご夫妻はじめ、ご子息などにも大変温かく迎えていただきました。アンカラに着いてからまだそんなに日はたっていないけれども、いい滞在だなというふうに思っています」と述べられました。
そのうえで、前日に視察したイスラム教のモスク「アヤソフィア」やオスマン帝国時代の「トプカプ宮殿」について振り返り、「もう少し時間がほしかったなと思いますけれども、これはもうしかたないので、また次の機会に譲ることにしたいと思います」と話されました。
また、紀子さまは、「皆様に温かく迎えていただき、心から感謝しております。訪れるさきざきでお会いする方から、話を伺っておりますと、本当に、日本とトルコが強い絆で結ばれていることに思いを深くしております」と話されました。
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