天皇、皇后両陛下は能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県を見舞われた。避難所でかがみ込み、困難な状況にある人々を励まし、思いに耳を傾けた。
天皇陛下は皇室の基本を「国民と苦楽を共にする」とし、被災地訪問は上皇さまから引き継いだ「象徴の務め」の一つでもある。
初めて石川入りした3月22日の輪島、珠洲両市訪問は、発生から約3カ月をおいて、現地の災害対応への影響を極力避けるよう配慮した形となった。
それから約3週間、両陛下は4月12日に再び被災地へ向かった。(共同通信=志津光宏)
▽ジレンマ
約100人が避難生活を送る輪島市の施設。両陛下は段ボールで間仕切りされたベッドの脇に膝をつき、声をかけて回った。「大変でしたね」「お体にお気を付けて」。高齢者を心配し、優しく語りかけた。
元日の地震発生直後からニュースを確認し、被害に深く心を痛めた。翌2日の新年一般参賀は両陛下の意向で中止となった。
「できるだけ早く現地へ向かい、被災した人たちを直接励ましたいと思われている」。宮内庁幹部はこう語っていた。
だが被災地の状況が許さなかった。
能登半島は道路が寸断され、断水が長引くなど、インフラの復旧も見通せない。
「自分たちが訪問することによって、災害対応に支障が出るようなことがあってはならない」(側近)とのジレンマに揺れた。
▽通底する思い
宮内庁は、水面下で3月下旬を軸に訪問時期を探った。復旧・復興を議論する県議会の日程なども視野に入れた。
陛下は2月21日、誕生日を前に臨んだ記者会見で「現地の復旧状況を見つつ、訪問できるようになったら、被災地へのお見舞いができればと考えている」と初めて言及し、ようやく道筋が付いたことをうかがわせた。
平成の時代、在位中の上皇ご夫妻はたびたび、災害直後の被災地に足を運んだ。
1995年の阪神大震災と2004年の新潟県中越地震は約2週間後、2016年の熊本地震は約1カ月後というスピード感だった。
静岡福祉大の小田部雄次名誉教授(日本近現代史)は、「象徴」という立場の天皇が被災地を見舞う意義を「被災者にとって『国そのものが私たちを見てくれている』と感じることができ、精神的な支えになる」と指摘する。
悲嘆に暮れる人々のそばに少しでも早く駆けつけるか、生活再建の動きを見極め、一拍置いて行動するか。「アプローチの仕方は異なるが、慎重さは陛下の個性。通底する思いは上皇さまと同じだ」としている。
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