ブルーシートのかかった屋根が目立つ被災地で、慎重に、丁寧に、スピーディーに、一人黙々と作業する。板金職人の佃幸二さん(51)は能登半島地震で孤立集落となった石川県輪島市の西保地区に自宅がある。地区では、地震発生から4カ月経った今も、県道が復旧せず、電気も通っていないため、4月に入居した市街地の仮設住宅から、被災した家々の修理現場へ通っている。

 県の道路整備課によると、地区と市街地を結ぶ沿岸の県道38号線は、同市下山町から鵜入町間で大規模に土砂崩れしていて、復旧には数年かかるという。

  • 写真ルポ 能登半島地震

 佃さんは地震直後、山の中を4キロほど歩いて家と市街地を行き来し、車中泊や知り合いの大工の家に泊まらせてもらってしのいでいた。

 1月17日、地区の住民や両親は、集落から自衛隊のヘリコプターで白山市に2次避難した。佃さんは「避難先でやることはない。ここにいれば町の復旧でも、両親が空けた家を守ることでも、何かしらすることはある」と輪島に残った。

 ヘリに乗って集落を後にする両親を見送った後、佃さんは山を歩きながら、崩落した県道を見つめていた。「この道が直って電気が通れば必ず戻ってきます」と話していた。

 地震から3カ月が過ぎた4月上旬、2次避難先から戻ってきた両親と3人で仮設住宅に入居した。

 少しずつ進む市街地の復旧工事で、板金の仕事は多忙だ。

 佃さんを含め4人の職人がいる塩山板金工業所によると、1月中旬から3月末まで、壊れた屋根瓦の棟などをブルーシートで覆う作業が100件ほどあった。佃さんは「慣れない仕事をやりながら覚えた」と振り返る。

 4月に入り、壊れた屋根瓦をトタンにふき替える修理など、屋根、外壁、雨どいを施工する本来の板金の仕事が本格化している。今年は4月末時点で、板金工事の見積件数が80件あり、例年の5~6倍に相当するという。

 佃さんは、「直す仕事が一段落したら、新築の仕事になるが、人が離れて、家を建てる人は少ないかもしれない」と被災地の将来を心配する。それでも「この2、3年は間違いなく忙しくなる。今は目の前の直せる家を一軒一軒こなしていきたい」と話す。(伊藤進之介)

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