筒井さんは愛知県出身で、マグロ漁船「第五福竜丸」の船長として航海中だった1954年3月1日に太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験に巻き込まれました。

このとき、当時22歳だった筒井さんを含む乗組員23人全員が被ばくし、半年後には病院で治療を受けていた無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。

第五福竜丸の被ばくは日本で原水爆禁止運動が高まるきっかけとなり、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の結成にもつながりました。

東京 江東区にある「第五福竜丸展示館」によりますと、筒井さんはことし6月4日に名古屋市の自宅で老衰のため亡くなったということです。

92歳でした。

第五福竜丸展示館によりますと、筒井さんが亡くなったことで存命の乗組員はあと1人になったとみられるということです。

公益財団法人「第五福竜丸平和協会」の市田真理 事務局長は「事実を知る方が亡くなったさみしさと、知らない私たちだけで伝えていくことの不安があるがこれからも伝える努力をしっかりしていきたい」と話しています。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。