在留資格を持たず退去命令となっている日本生まれの外国籍の子どもについて、出入国在留管理庁は、約8割の212人に特例で「在留特別許可」を与えたと発表した。同時に親やきょうだいの多くも許可したが、同じような境遇なのに救済されていない家族もいる。(森本智之)

◆廃棄物処理業営むために必要な資格の一つ

 「4年かかった。長かったけど、9回目で受かった。うれしかったです」。市民団体「在日クルド人と共に」が埼玉県蕨市で開く日本語教室で、近くに住むクルド人の男性(43)が廃棄物処理や関連法の知識を問う試験の修了証を見せてくれた。合格は7月。修了証は廃棄物処理業の許可を申請する時の条件の一つになる。  電話帳のようなテキストを開くと「特別管理産業廃棄物」など難解な言葉が並ぶ。試験を行う財団法人の担当者は「日本人でもなじみの薄い法律用語を扱うのである程度の日本語能力がないとテキストの意味も分からないだろう」と話す。

◆「仮放免」状態で就労は認められていない

 男性は、シリア国境に近いトルコの農村部出身。2000年代に一度来日して帰国した後、2014年に妻と長女を連れて再来日した。理由はトルコ政府による差別や迫害だった。難民申請したが認められず2021年からは、入管施設への収容を一時的に解かれた「仮放免」の状態にあり、就労は認められていない。

日本語教室でボランティア(右)と話すクルド人の男性=埼玉県蕨市で

 それなのに、なぜ受験したのか。男性は「在留資格があればこんな仕事ができるのかと入管が認めてくれるかもしれない。そうしたら在留資格も許可されるかもしれない」と話した。「日本の役に立てば、日本人も私を認めてくれる」と信じている。  勉強は難民申請が退けられた前後に始まった。現在は小学5年生の長女の入学も、きっかけとなった。「日本でこれからの人生を生きていきたいと思った。娘が学校で頑張るのだから自分も頑張ろうと思った」  話すことはある程度できたが「お先にどうぞ」と車に貼られたステッカーの「先」が読めないなど、小1レベルの漢字もおぼつかなかった。  川口市の芝園団地にある外国人向け日本語教室を訪ねたのは4年前。ルビを振った日本語のニュースを繰り返し読むことから始めた。ボランティアの江田昇さん(74)は「いつも明るくて真面目な人。教室は絶対に休まなかった。置かれてる状況は厳しいでしょうが、ひるまない。前向きな姿勢には、私の方が励まされた」と言う。  男性は「10回、100回としつこく繰り返せばできるようになる」と笑う。現在は隣接する蕨市の教室に移ったが学ぶ姿勢は変わらず、妻や子どもたちも同じように通っている。

◆日本生まれの子どもに在留許可を出したが、長男は…

 男性には日本に来て長男=現小学3年生=が生まれた。昨年成立した改正入管難民法は難民認定の申請中でも3回目以降は強制送還を可能にした。一方、その救済措置として、日本生まれの子どもに在留許可を出した。本来なら、長男も対象になり、家族も許可を得られた可能性があったが、そうはならなかった。  救済措置の対象は仮放免の中でも国外退去を命じる「退去強制令書」が出ている子どもだけ。男性の一家はいずれも、その前段階で施設収容を命じる「収容令書」だったからだ。  入管行政に詳しい駒井知会(ちえ)弁護士は「いつ退去強制令書が出るかは入管の判断で誰にも分からない。同じように対象外になった子どもは他にもいるが、手続きの段階が違うだけで日本で生まれ育ち、在留資格がないことに苦しんでいる点は何も変わらない。非常に不均衡で、国は速やかに許可を出すべきだ」と唱える。  男性は「許可が出ないのは何でだろうと思っちゃうよね。でも私にはまだ足りないところがあるのだろう、もっと頑張らないといけないと思っている」と話した。 

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。