◆里見弴は、3回目の撮影で笑顔に
1957年、東京写真短期大(現東京工芸大)を出た中谷さんは東京新聞が出していた「週刊東京」の写真記者になった。「週刊誌ブームで部員が必要だってんで、嘱託で来ないかと言われまして」。2年後、初めてグラビア用に撮ったのが、作家の里見弴(とん=1888~1983年)だ。取材記者に同行し、神奈川県鎌倉市の自宅に向かった。自宅の茶室の前でたばこを吸う里見弴。芝生に寝転がって下から撮ると、「小津アングルだね」と言った=初出は『週刊東京』1959年10月17日号
「気難しい人」って言われてたんですが、書斎で撮ったあとで「ちょっと庭で」って言うと「そうかね」って草履を履いて出てきてくれました。茶室のかやぶき屋根を入れたいと思って芝生に寝っ転がって撮ったんです。そしたら「君、小津アングルだね」って。帰りに記者に「小津アングルって何?」って聞いたら「何だ知らないのか!」って驚かれました。あとで(小津安二郎監督の)「東京物語」とか見て、なるほどって思いました。これが人物写真のスタートです。 1965年と1981年にも行き、3回目で初めて笑顔の写真が撮れました。◆19歳の大鵬と、部屋で一緒に寝て
大横綱の大鵬(1940~2013年)は、新入幕を果たした1960年の初場所中に撮影。二所ノ関部屋に通って、初日から11連勝した19歳の大器に密着した。けいこ場で8ミリカメラを構える大鵬。新入幕のこの場所で初日から11連勝の快進撃を見せた=1960年1月24日初場所、中谷吉隆さん撮影
大鵬は8ミリが好きなんですよ。映像を撮って部屋で上映する。見ながら「ここで『はず押し』した方がいいんじゃない」とか下の連中に言う。趣味だけどただの趣味じゃない。(仲良くなって)ちゃんこを食べたあと、部屋で一緒に寝てたんですね。そしたら誰かがふすまを開けて「あ、クジラとイワシがいる」だって。大鵬は肌がきれいでしたよ。本場所で蹲踞(そんきょ)しているとき、それがピンクに染まっていくんです。◆水上勉には、人生の指針を学んだ
多くの人物写真を手がけた中谷さんが、最も多く撮ったのは作家の水上勉(1919~2004年)だ。 何回撮ったか分からないくらい。佐渡(新潟)への旅ものの取材では、宿の主人に頼んで、土地の古い芸者を呼ぶんです。何をするかと思ったら、土地の昔のことを聞き出している。2時間くらい取材して、芸なんかなし。こういうふうに取材するのかと。自ら焼いた骨壺を前に座る水上勉。「君のも作るから」と言ってくれていたが、かなわなかった=1994年、中谷吉隆さん撮影
雑誌の連載では、軽井沢(長野)の山荘に通いました。自分で手際良く料理してくれてね。福井に若州一滴(じゃくしゅういってき)文庫を作ったときは「焼き物もやる」って言って、骨壺(こつつぼ)を作った。「君のも作る」って言ったんだけど、亡くなられて…。あらゆる意味で人生の指針を学ばせていただきました。展示する作品を前に思い出を語る中谷吉隆さん
写真展について、中谷さんは「カメラを持っていたからいろんな人に会えた。影響を与えてくれた人たちの鎮魂ができたらいい」と話している。 ◇ 「ザ・レクイエム」展は10月31日から11月6日まで、四谷のポートレートギャラリー(日本写真会館5階)で開催。158点が展示される。入場無料。 ◆文と写真・加古陽治 ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp」へメールでお願いします。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。