能登半島を襲った記録的豪雨から、21日で1カ月を迎えた。石川県輪島市久手川(ふてがわ)町の塚田川沿いでは住宅ごと流された4人が命を落とす一方、孤立して丸2日以上、自宅が流されずに助かった人たちもいた。そのうち60代の夫婦が取材に応じ、雨が降り続く中で恐怖におびえた当時の状況を振り返った。(上田千秋)

◆「天候が悪くヘリは出せない」と言われ、もう一晩

 「『ゴォー』っていう川の音がずっとしているのと、納屋か何かが流されてつぶれる『ガシャーン、ガシャーン』という音で怖くて、その日は全く眠れなかった」。瀬例(せいれい)有子さん(68)はこう語った。

自宅前の状況を確認する瀬例敏之さん(右)と有子さん。左はつぶれた納屋=17日、石川県輪島市久手川町で

 有子さんは9月21日朝、夫・敏之さん(68)と2人で2階建ての自宅にいた。大雨の予報は分かってはいたものの「まさかあそこまでひどくなるとは、思ってもみなかった」と2人は口をそろえる。  最初はそれほどでもなかった雨が、瞬く間に強くなっていった。家の脇を濁流が勢いを増して流れていく。「前の木の橋も流された。ほんのわずかな時間で、逃げられる状況ではなくなった」と敏之さんは言う。

雨が激しくなって間もなく、自宅2階から見えた濁流=9月21日撮影、瀬例有子さん提供

 間もなく電信柱が流れていくのが見え、家中が停電。幸い、能登半島地震後に発電機を備えていたため、スマートフォンの充電はできた。スマホで雨雲の様子を確認すると、輪島市上空にかかった線状降水帯の雨雲は動く気配がない。雨が少しでも弱くなるのを祈るしかなくなり、2階で一夜を明かした。「隣の家が流されたらうちも一緒に終わる。死を覚悟した」(敏之さん)  雨が落ち着いた翌22日午後になると、消防隊員と自衛隊が山中を通って安否確認に来た。敏之さんによると、近くの3軒にも5人の住民がいて、計7人が取り残されていると別の住民が消防に通報してくれていたからだ。ただ、「天候が悪くヘリは出せない」と言われ、もう一晩自宅で過ごした。

◆自宅へのルートは今もふさがれたまま

 瀬例さん夫婦は23日午後になってようやく、迎えに来た消防隊員や他の住民と共に山を1時間ほど歩き、安全な場所に脱出することができた。有子さんは「ずっと怖かった。ホッとした」と話す。

9月の大雨で浸水し、1カ月経っても泥や流木が残る=20日、石川県輪島市町野町で(ドローンから桜井泰撮影)

 豪雨から1カ月たった今も、瀬例さん宅周辺へ戻るルートは土砂崩れで通行できないまま。車で行けるのは近くまでで、川の水量の少ない時を狙って、長靴を履いて渡るしかない。大きな荷物は運べず、持ち出せたのは洋服など必要最小限のものだけだ。  不安なのは今後のこと。行政から何ら説明はなく、敏之さんは「高齢者ばかりで何人も住んでいない地区だけど、地元だからいずれは帰りたい。行政は、戻りたくても戻れない人間のことも考えてほしい」と訴えた。 

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