見つかった爆弾は?
防衛省によりますと、爆発した不発弾は戦時中にアメリカ軍が投下した重さおよそ250キロ、長さ1メートル20センチほど、直径36センチほどの爆弾だということです。
この「250キロ爆弾」が爆発した不発弾の破片を確認したところ、不発弾の先端と底の部分に起爆装置の信管が残っていました。
周囲には爆薬とみられる粉も散らばっていて、一部の破片は200メートルほど離れた場所で見つかったということです。
宮崎空港では過去にも
宮崎空港ではこれまでにも不発弾が複数見つかっています。
2021年6月には、駐機場で行われていた工事中にアメリカ製の1トンの不発弾が見つかり、陸上自衛隊の不発弾処理隊が対応して信管がないことを確認し、翌日回収しました。
また、2011年11月には滑走路脇でアメリカ製の250キロの不発弾が見つかり、このときは信管がある状態だったため、空港をおよそ5時間閉鎖して処理が行われ、民間機22機が欠航しました。
ほかの空港でも相次ぐ不発弾
今回の爆発をうけて、国はほかの空港についても緊急の調査を行う予定です。
対象となっているのは、仙台・松山・福岡・那覇の4つの空港で、いずれも旧日本軍の施設だった場所にあり、過去に不発弾が見つかっています。
以下に、それぞれ詳しく記します。
《仙台空港》
仙台空港仙台空港事務所によりますと、2012年10月、滑走路の近くの工事現場で、東日本大震災の復旧工事にあたっていた作業員が不発弾を発見。
陸上自衛隊が調べたところ、戦時中にアメリカ軍が投下したとみられる長さ1メートル10センチ、直径35センチの250キロ爆弾であることが確認されました。
《松山空港》
松山空港松山空港事務所によりますと、1971年12月、空港の滑走路の拡張工事で長さ1メートル70センチ、重さ1トンの不発弾が見つかっています。
その後も、空港近くの海から相次いで不発弾が見つかっているということです。
《福岡空港》
博多港湾・空港整備事務所によりますと、空港の敷地内では1997年と1999年に工事現場から不発弾のようなものが見つかったということです。ただ、詳しい記録は残っていないとしています。
《那覇空港》
国や県、市町村などでつくる不発弾の対策協議会がまとめたデータによりますと、1972年以降、空港の敷地内で発見された不発弾の数は、小銃弾やライフル弾を除いても少なくとも175に上っています。
このうち、2020年4月には、滑走路の増設工事の現場で爆発のおそれがあるアメリカ製の250キロ爆弾が、立て続けに3つみつかりました。
ことしも空港の敷地内で8つの不発弾がみつかっているということです。
なぜ爆発したか?識者は
国や自治体からの依頼で、不発弾の探査を行っている日本物理探※鉱の田中剛地質調査部長は、撮影された破片の写真から、底の部分にある信管が作動したのではないかと指摘しています。
時限式の爆弾は底の部分に信管がついているということで、今回の不発弾も時限式の可能性があるということです。
そのうえで、「こういう信管を使っていると時間が経過しても爆発することが、過去にも起きている。ちょっとした振動でも起動するような状態になっている可能性もあり、非常に危険だ」と話しています。
また、太平洋戦争に関するアメリカ軍の報告書には、時限式の信管がついた爆弾が関東や九州で使用されたという記録があるということで、「当時は、特攻隊がアメリカ軍の艦船を攻撃していたので、特攻隊の航空基地の滑走路を使わせないようにする目的で主に九州南部の飛行場を狙い、時限式の爆弾が使われた。そうした爆弾が今になって爆発する確率は低いかもしれないが、ゼロではない」と話しています。
※鉱は金へんに廣
情報はニュースポストまで
空港の地下で、突然爆発した不発弾。実は今も日本各地で見つかっています。
来年戦後80年となりますが、私たちはこの不発弾を始め、各地の空襲被害などについて、今後、取材を続けます。
お住まいの地域で、こうした情報などがあればぜひこちらまでお寄せください。
NHK ニュースポスト
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