◆「『居場所がない』ことのない社会にしたい」
「困ってることない? 何かあったらすぐ連絡して」。2020年8月、東京・秋葉原。客待ちで路上に立つ若い女性たちに大谷さんが声をかけていく。女性たちの正面に立って語りかける姿が「私は逃げない」と伝えているかのよう。秋葉原で働く女性にまちなか保健室の案内を配る大谷恭子さん(中)=2020年8月(嶋邦夫撮影)
同年春のコロナ禍真っただ中、傷ついた若い女性を支援する若草プロジェクトの一環で、秋葉原近くに「まちなか保健室」を設立した。大谷さんは当時、「こちら特報部」の取材に「逃げ場所を間違えると簡単に暗部に足を踏み入れてしまうのが今の社会。『居場所がない』ことのない社会にしたい」と語っていた。 プロジェクトは瀬戸内寂聴さん(故人)と元厚生労働省次官の村木厚子さんが呼びかけ人代表に名を連ねた。当初、一緒に活動したNPO法人「BONDプロジェクト」の橘ジュン代表は「現場感覚にすごく近くて目の前の女の子のことを一番に考えてくれた。本当に寂しい」としのんだ。 全国女性自立支援施設等連絡協議会の横田千代子会長(81)も「いつも先頭に立ち、必要な場所にいて必要な支援を届けてくれた。大谷さんのおかげで救われた人は多い」と語る。◆駆け出し時代に関わった事件が、その後の人生を決めた
大谷さんは東京・十条育ち。1974年に早稲田大を卒業後、弁護士に。交際していた人が大学紛争の中で逮捕されたことが弁護士を志したきっかけだった。 連合赤軍最高幹部の永田洋子元死刑囚、日本赤軍最高幹部だった重信房子さん(79)ら数々の公安事件で弁護を務めたが、弁護士駆け出し時代に関わった事件が大谷さんのその後を決定付けたとも言える。重信房子被告判決後に記者会見する、長女のメイさん(左)と主任弁護人を務めた大谷さん=2006年2月、東京・霞ヶ関の司法記者クラブで(市川和宏撮影)
ひとつは「金井闘争」。障害があっても普通学校に通うことを求めた訴訟で、脳性まひの金井康治さん側の弁護を担った。その後の障害者権利条約の批准につながり、インクルーシブ(共生)教育の必要性を訴え続けた。「障害児を普通学校へ・全国連絡会」メンバーで元教員の名谷和子さん(69)は「障害児が障害を理由に分けられて教育を受けなければならないことに、本気で立ち向かってくれた。全てに通底する人権の大切さについて、学んだのではないだろうか」と回想する。◆亡くなった10月11日はくしくも「永山事件」の…
もうひとつは「無知の涙」を記した永山則夫元死刑囚の弁護だ。最後の面会人になった市原みちえさん(78)は処刑後、「『これからは永山君のことをもっと語ってほしい、私が守るから』との言葉が忘れられない。とても頼りにしていた」と語る。その後、「永山子ども基金」を設立し、書籍の印税をペルーの子どもたちに送る活動でともに歩んだ。「大谷さんが亡くなった10月11日は、永山が殺人事件を最初に起こした日だった。大谷さんが原点に戻っていく気がした」 ほかにオウム真理教の地下鉄サリン事件の実行役だった広瀬健一元死刑囚の裁判やアイヌ民族の肖像権問題、近年では目黒区虐待死事件などで弁護を担った。◆弁護した数々の事件から透ける、社会のひずみ
ジェンダーや障害分野で長年親交があった早稲田大の浅倉むつ子名誉教授(75)は「どんなに重大な過ちを犯した人でも、大谷さんは果敢に弁護を引き受けてきた。大谷さんが手がけた事件をひもとくと、その時代の社会のひずみが透けて見える」と話す。若い女性の支援に奔走した大谷さん(左から2人目)。故瀬戸内寂聴さん(左端)や村木厚子さん(右端)らとともに活動した=2016年ごろ撮影、大谷さん提供
そんな大谷さんは最後まで、若い女性の支援の必要性を訴え続けた。「彼女たちを吸い寄せている性的搾取の世界に対抗するには買う側を処罰するしかないと、大谷さんはずっと強調していた。実現させていきたい」と浅倉さん。バトンは社会に託された。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。