10・10空襲は、80年前の1944年10月10日にアメリカ軍が沖縄県内各地や奄美諸島に激しい攻撃を行ったもので、1400人以上が死傷しました。
旧日本軍の飛行場などがあり、25人が死亡した読谷村では10日、喜友名昇さん(84)夫婦が慰霊碑に花を手向けて犠牲者を追悼しました。
慰霊碑は当時、喜友名さんの自宅からおよそ100メートル離れた、防空ごうが爆撃で崩れて避難していた12人が亡くなった場所に設けられています。
亡くなったのは飛行場の建設に動員されていた若者や、小学生などの子どもだったということです。
当時4歳だった喜友名さんは、はじめは軍の演習だと思い木に登って航空機を眺めていたところ、祖母に自宅の防空ごうへ連れて行かれたということです。
その後、爆撃による激しい音がして、おさまってから外に出ると、およそ100メートル離れた別の防空ごうが爆撃で崩れていたということです。
喜友名さんは「10・10空襲に遭うまでは戦争という意識はなく、あれが沖縄戦の始まりだったと今になって思う。戦争というものは怖いもので、二度とやってはいけない」と話していました。
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