<連載 生きるって>  東京・上野の居酒屋で、ギターを手に酒場を巡る「流し」の女性に出会った。今年4月にデビューしたばかりの「グランマちかこ」さん、53歳。シングルマザーとして娘を育て、孫もいる。岐阜県下呂市に住みながら月の半分を200キロ以上離れた東京で過ごす。酔客に声を掛けて怒鳴られることもある。それでも歌う。「おまえの歌が聴きたい」。亡き母の言葉がよぎるから。(細川暁子)

◆シングルマザーとなった娘と孫と一緒に故郷へ

 「下呂温泉と飛騨高山に挟まれた小さな町から来ました」。グランマにそう声を掛けられたのは9月のある日の夜、上野駅近くで先輩と2時間ほど飲んでできあがっていたときだった。曲目リストを見せてもらうと、欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」など往年の名曲約40曲が並んでいた。

ギター片手に居酒屋を回る「流し」として活動するグランマちかこさん㊧。記者は先輩㊨と飲んでいるときに偶然出会った=東京・上野で

 カラオケでも歌う、ちあきなおみの「喝采」を、先輩は久保田早紀の「異邦人」をリクエストした。タブレット端末で譜面を見ながらギターを弾くグランマ。低音でのびやかな歌声がバラードによく合う。  本名は今井千香子。下呂市の金物店の娘として生まれ、18歳で横浜市の専門学校に進学した。そこで出会ったインドネシア人の男性と結婚し、23歳で長女を出産。だが価値観の違いなどから26歳で離婚した。東京・西新井に住みながら飲食店員やパチンコ店員、ヘアメークのマネジャーなどさまざまな仕事を掛け持ちして1人で長女を育てた。  上京して30年たった2019年、生まれ故郷に戻った。出産してシングルマザーの道を選んだ一人娘が、のびのび子育てできる田舎暮らしを望み、一緒に移り住んだ。グランマは、子ども服などを販売するセレクトショップを開いた娘の子育てを手伝ってきた。

◆死ぬ前にやらなきゃ後悔すること

 2024年春、孫が小学生になり、少し手が離れるようになった。流しの世界に飛び込む決意をしたのは、ちょうどその頃。「自分が死ぬ直前に、何をしなかったら後悔するだろう…」。歌うこと、それが答えだった。  音楽の影響は、2011年に65歳で亡くなった母親から受けた。母はシャンソンが好きで、越路吹雪の「愛の讃歌」や「枯葉」をよく口ずさんでいた。グランマ自身は中学時代にバンドでボーカルを担当。40歳を過ぎてからは、プロのバンドメンバーと一緒にライブ活動をしていた時期もある。  母は娘の音楽活動を誰よりも応援してくれた。東京で暮らしていた頃、電話を掛けてきてはこう言った。「おまえの歌が聴きたい」。その母に続き、2016年には父親も亡くなり、より強く残りの人生を意識した。「誰かのために歌いたいという情熱が再燃した」

ギター片手に居酒屋を回る「流し」として活動するグランマちかこさん=東京・上野で

 タイミングも良かった。決意を固める1年前の2023年5月に、関東を中心に活動する流しでつくる「全日本流し協会」が発足していた。ネットで活動を知り関係者に連絡を取った。協会に登録すると、各地の飲み屋に流しとして派遣される。グランマは、月の半分は上京し、残り半分は娘と孫と一緒に下呂で暮らす二重生活を始めることにした。

◆流しの魅力は、歌を通じた出会いと心の交流

 東京ではシェアハウスに滞在し、上野のほか、品川や新宿、新橋などの居酒屋で歌う。店を回るのは、1日4時間ほど。客から受け取るチップの額に決まりはない。一晩の収入は5000円から多い時で2万5000円ほどだ。  最初は話し掛けるのに勇気がいった。「いらねぇよ」と怒声を浴びた日もある。それでも「断られて当たり前」と開き直った。思い出の曲を泣きながら聞いてくれる人がいれば、席が隣り合った客同士で合唱になることも。歌を通じて出会いが生まれる。喜びや興奮を分かち合える魅力が、流しにはある。  客に自分の人生を語る機会はほとんどない。でも、「波乱の人生が背景にあるから、気持ちを乗せて歌うことができる」。私もこれまで、なんとかなった。だから、もし今大変でも、きっと大丈夫…。そんな思いをそっと歌に込めている。    ◇ <連載 生きるって>
 街のどこかで、きょうも力強く生き抜く人たち。その姿を随時伝えます。 

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