茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で起きた臨界事故から25年となった30日、同村役場では職員約120人が、死亡した作業員2人の冥福を祈って1分間の黙とうをささげた。

黙とう後、山田修村長は「事故を決して忘れてはならない。事故を教訓として原子力安全を希求し続けることを肝に銘じてほしい」と訓示。政府や電力会社などに対して、「国民の理解や信頼はまだ十分ではない」として、説明責任を果たしていくよう求めた。

村出身で、今年4月に入庁した政策推進課の橋浦志穂さん(32)は、事故当時小学生で、雨戸を閉めるなどした記憶がよみがえったという。「村職員として、村民の生命や生活を守らないといけないと感じた」と気を引き締めた。

事故は1999年9月30日、JCO東海事業所の転換試験棟でウラン溶液を混合中に発生。核分裂反応が連鎖的に続く臨界状態が約20時間続き、放出された中性子線などでJCOの作業員2人が死亡、周辺住民ら660人以上が被ばくした。制限量を大きく上回る溶液を沈殿槽に注入したことが原因で、原子力事故の国際評価尺度(INES)では、上から4番目のレベル4(局所的な影響を伴う事故)だった。

当時の事業所長ら社員6人と法人としてのJCOが業務上過失致死罪などで有罪が確定。同社はウラン再転換事業の再開を断念し、関連設備の解体、撤去を続けている。

臨界事故から25年で、黙とうする茨城県東海村の職員=30日午前、同村

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