自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件で、政治資金規正法違反(虚偽記入)罪に問われた清和政策研究会(旧安倍派)会計責任者の松本淳一郎被告(77)に、東京地裁(細谷泰暢裁判長)は30日午後3時、判決を言い渡す。検察側は禁錮3年を求刑し、弁護側は「寛大な判決」を求めている。  旧安倍派の裏金づくりを巡っては、2019年に会計責任者に就任した松本被告が立件されたが、幹部の国会議員は1人も立件されなかった。  起訴状などによると、2018~22年分の安倍派の政治資金収支報告書に、パーティー券の販売ノルマ超過分などの収入と支出を計約13億5千万円少なく記入したとしている。  公判で、松本被告は起訴内容をおおむね認めて謝罪した。18~19年に議員側が派閥に納めずプールしていた約8千万円については認識していなかったとして否認した。

東京地方裁判所

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◆公判で裏金づくりの過程解明されず

 「いつ誰が裏金を始め、還流は誰が復活させたのか。その過程が解明されず、なぜ自民党が裏金が必要だったのかっていう本質が分からない」。東京地検特捜部の捜査のきっかけとなる刑事告発をした神戸学院大法学部の上脇博之教授(66)は、これまでの公判の内容に不満を漏らす。  一連の事件では2018年から5年間で、旧安倍派ら3派閥で計約9億7000万円のパーティー券収入の不記載が発覚し、特捜部は今年1月に会計責任者ら計10人を立件した。2月の自民党調査でも、20年以上前から組織的な裏金作りが行われていた可能性に触れたが、匿名での回答で判然としなかった。  5月から始まった自民党最大派閥だった旧安倍派の会計責任者の松本淳一郎被告(77)の公判で、真相究明に注目が集まった。

◆「ある幹部」明かされず

 ところが、公判で検察側は「収支報告書の作成に国会議員の関与はなかった」と明言。裏金づくりの開始時期を「かねて」とあいまいに表現した。ある検察幹部は「いつ、誰が組織的に始めたのかははっきり言えない。亡くなっている人もいる」と開始時期の特定が困難だったことを示唆した。  いったいいつ頃から始まったのか。旧安倍派議員のある現役秘書は、2000年代前半にパーティー券を初めて取りに行った際、当時の事務局から還流方法を説明されたことを覚えている。「『オーバー分もいったん派閥に入れてもらうけど、超えた分は戻す』と言われた。検察の聴取にもそう答えた」と本紙の取材に打ち明けた。  松本被告は被告人質問で、22年3月ごろに当時の派閥会長だった安倍晋三元首相から指摘を受け、一度は還流中止を決定したと説明した。しかし、銃撃事件で安倍氏が亡くなった22年7月末ごろ、ある幹部から「ある議員が還流してほしいと言っている」と要求があり、幹部らが協議し、再開が決まったとを明かした。松本被告は「独断で還付することはない」と断言していた。  検察側から、この「ある幹部」が誰か問われても、松本被告は明かさなかった。関係者によると、「ある幹部」は協議に参加していた下村博文元文部科学相とされるが、下村氏は、自身のホームページで「還付再開に関与したことや再開を要求したことはない」と否定した。

◆検察審査会への申し立て視野に

 自民党派閥の裏金事件を巡り、上脇教授は、パーティー券収入を裏金化したとされる議員らを順次告発。検察が不起訴とした場合には、検察審査会に審査を申し立てる方針だ。  上脇教授は「裏金は、主要な派閥でおき、党に近い人たちが完全にお金で汚染されていた。不起訴なら切り抜けたと安心してまたやる。法改正もされたが、裏金が作られたのに、その穴をふさがない法改正は評価に値しない。絶対に忘れてはいけない」と強調した。(井上真典) 

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