2024年度の診療報酬改定で、厚生労働省は施設の入院規定に「身体的拘束を行ってはならない」と明文化した。だが、相変わらず精神科病院は除外されたまま。なぜ精神科だけが特別扱いか。26日の院内集会から精神科病院の特殊性を改めて考えた。(木原育子)

◆診療報酬改訂で明文化されたが…厚労省の通知は

 26日、参議院議員会館。会議室の円卓に、当事者団体や支援団体、研究者、政治家が膝をつき合わせた。

関係者が集まって身体的拘束ゼロについて意見を交わした院内集会=26日、東京・永田町の参議院議員会館で

 「医療、介護全体としては身体的拘束を行ってはならないと舵(かじ)を切っているのに、なぜ精神科病院は含まれないのか」。口火を切ったのは杏林大の長谷川利夫教授。長年にわたり拘束ゼロの必要性を訴えてきた。  今年3月、基本診療科の施設基準が一部改正され、身体的拘束最小化のための十分な体制整備を進めることが盛り込まれた。ただ、それに関する厚労省の通知で「精神科病院における身体的拘束の取り扱いは精神保健福祉法の規定による」とした。つまり、精神科病院は例外ということだ。

◆介護分野では廃止への取り組みが進むのに

 これに対し、介護分野では2001年に「身体拘束ゼロへの手引き」が作成され、今年3月には、より具体的な廃止規定を盛り込んで改定された。  「介護施設への身体拘束ゼロの改革は、皮肉なことに元々は精神科病院での取り組みが始まりだった」と話したのは集会の登壇者の一人、国際医療福祉大大学院の大熊由紀子教授だ。  東京・八王子にあった「上川病院」(現・多摩平の森の病院)で1986年から「抑制」を「縛る」と言い換え、ゼロにする取り組みを始めた。その取り組みを知った介護関係者が感銘し、認知症の人たちへの拘束廃止運動に広げていった。

◆「考えて考えて…患者さんと一緒に泣き、笑い、話すように」

 集会の会場には旧上川病院で総婦長を務め、改革の旗振り役を担った田中とも江さん(76)の姿も。田中さんには精神科病院の勤務経験があり「病院から拘束するひもを全て捨てた。当時は無謀と言われたが、拘束具がなければどうしようかと考える。考えて考えて、患者さんと一緒に泣き、笑い、話すようになった。拘束しなくても関係性が自然とできていった」と振り返る。  それから40年近く。多くの精神科病院は変わらない。前出の長谷川教授によると、人口10万人当たりの年間の拘束人数はドイツが81人、米国が18人、オーストラリアが6人で、120人の日本は突出。平均拘束時間もドイツの8.2時間、米国の4時間に比べ、日本の730時間は断トツだ。

◆「誰かが声を上げないと変わらない」退職し告発

 もちろん、医療関係者も黙っているばかりではない。今年8月下旬には、東京都内の元看護師が、勤務していた精神科病院を警視庁に業務上過失致死の疑いで告発した。昨年6月に50代男性が拘束されたまま亡くなったことを自問自答してきた。「誰かが声を上げないと変わらない」と病院を退職し、告発に至った。  内部から声は上がり始めるが、国は、身体的拘束に医師の裁量を広げるよう告示改定の動きを崩していない。国内の身体拘束件数は2003年が5109件だったが、20年度は1万件を超え、高止まりが続く。

◆「差別とは何かを日常的に考えて」

 精神医療に詳しい池原毅和弁護士は「入院させることは社会生活の自由を制限するが、縛り付けることは手足を動かす自由まで制限する。世界的に見たら日本は半世紀以上遅れた状態にある」と訴える。  前出の田中さんは「例えば患者さんに急性期症状が出て外来に訪れた時に、すぐに治療や注射ではなく、まずは話しやすい環境で落ち着いて話を聞くこと。ケアする側が『話が通じない人』『危ない人』ってレッテルを貼ると、とたんに関係性が崩れてしまう」とし、続ける。「差別とは何かを日常的に考えてほしい。ケアする側が患者さんを心から受け入れる関係性を保てない限り、この国の精神医療は変わらない」 

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