脱線事故の現場付近を走行する電車内で手を合わせる乗客(25日午前、兵庫県尼崎市)=代表撮影

乗客106人と運転士が死亡し、562人が負傷したJR福知山線脱線事故は25日、発生から19年となった。兵庫県尼崎市の現場では朝から追悼慰霊式が営まれ、遺族や負傷者らが参列。犠牲者を悼むとともに、事故なき社会の実現を願った。

現場に整備された慰霊施設「祈りの杜(もり)」では、発生時刻の午前9時18分に遺族と負傷者、JR西日本の役員らが黙とうをささげた。同社の長谷川一明社長は式典で「命の大切さを心に刻み、ハード・ソフト両面での改善を継続し、さらなる安全性の向上に努める」と述べた。

脱線事故の発生時刻を迎え、事故現場付近で黙とうする人たち(25日午前9時18分、兵庫県尼崎市)

当時大学1年だった次男(37)が重傷を負った西尾裕美さん(66)=大阪府高槻市=は発生時間帯に線路脇で手を合わせた。次男は歩行障害が残っており「被害者は一生傷を背負っていかないといけない。何年たっても事故への思いは変わらない」と声を詰まらせた。

事故現場近くを通過した福知山線の電車内では手を合わせる乗客の姿もあった。

兵庫県伊丹市のJR伊丹駅前では犠牲となった市民18人と同じ数だけ「カリヨン」(組み鐘)が鳴らされた。「時間がたつにつれ遺族、負傷者の状況は変わってきている。事故をどうやって次世代や地域の人に受け継いでいくのかが課題だ」。被害者の支援に携わってきた津久井進弁護士は力を込めた。

脱線事故から19年を迎えた現場の線路脇に供えられた花(25日、兵庫県尼崎市)

24日夜には犠牲者をしのぶ「追悼のあかり」が祈りの杜で催された。企画者の一人で義弟(当時34)を亡くした上田誠さん(57)=大阪府八尾市=は「たくさんの命が突然奪われた事実を忘れてほしくない。鉄道の安全の大切さに思いをはせてほしい」と訴える。

JR西によると、事故後に入社した社員は約1万7千人(4月1日時点)で、全体の7割弱を占める。教訓の継承が課題となるなか、当時を知る社員らが「語り部」として経験を若手に伝えている。月命日の25日には職場単位で訓練を重ね、再発防止につなげる。

事故車両を巡っては、同社が大阪府内に保存施設を建設中で、完成は2025年12月ごろとなる見通し。一般公開の是非については遺族らの間で意見が割れており、現時点で対応を決めていない。

JR福知山線脱線事故


2005年4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口―尼崎間で快速列車(7両編成)が制限速度70キロの急カーブに116キロで突っ込んで脱線、線路脇のマンションに激突した。乗客106人と運転士が死亡、562人が負傷し、JR発足後最悪の事故となった。
JR福知山線脱線事故の現場(2005年4月25日、兵庫県尼崎市)
航空・鉄道事故調査委員会(現運輸安全委員会)は07年の事故調査報告書で運転士のブレーキ使用が遅れ、事故が起きたと推定。懲罰的な「日勤教育」も遠因にあったと指摘した。
現場に自動列車停止装置(ATS)は設置されておらず、安全対策も問題視された。検察に在宅起訴された山崎正夫元社長、検察審査会の議決に基づき強制起訴された歴代3社長が業務上過失致死傷罪に問われたが、いずれも無罪が確定している。

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