詳しく知りたい〈7〉

 上関原発の建設計画はどのような経緯をたどってきたのでしょうか。 計画が浮上してから40年余。町が賛否に割れる中で始まった準備工事は「3・11」で止まり、再開のめどは立っていません。一問一答形式で詳しく説明します。

【連載】核燃料のゆくえ

原発で使い終わった核燃料をどうするのか。中国電力と関西電力による中間貯蔵施設計画の動きや、使用済み核燃料の現状を連載で報告します。

 Q 使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設が検討されている山口県上関町は、中国電力による原子力発電所の計画もある。いつから始まったの?

 A 計画が浮上したのは1982年。中電が候補地として検討し、町側も誘致に前向きな考えを表明した。原発建設の見返りに交付金や補助金を出す電源三法が74年に施行され、全国各地で原発立地が進んでいる中だった。

 96年に中電は町や山口県に建設を正式に申し入れた。長島の沿岸約14万平方メートルを埋め立て、国内最大級の出力137・3万キロワットの原子炉2基を造る計画だ。2001年に国の電源開発基本計画に組み込まれ、着工手続きの「ゴーサイン」が出た。県も条件付きで同意した。

 Q 住民の反応は?

 A 建設予定地の対岸の離島、祝島を中心に反対の運動が起こるなど、当初から町は賛否で割れてきた。放射能漏れ事故が起きた場合、瀬戸内海のような閉じた水域では、汚染された海水が長らく滞留するとの懸念は町内外に根強い。ただ、計画が浮上して以降の町長選は、経済の活性化を期待する原発推進派の候補が10連勝している。

 Q それなのになぜ原発はできていないの?

 A 用地や漁業補償をめぐる反対派の訴訟などで着工予定が繰り返し延期された。09年に始まった海面埋め立ても抗議活動で滞っていたところ、11年3月に東日本大震災で福島第一原発の事故が起きた。この時点で1号機は17年度末、2号機は22年度の運転開始を目指していたが準備工事は中断。今も止まっている。

 Q 町の姿勢に変化は?

 A 原発関連交付金の増額の見通しが立たず、当時の柏原重海町長は原発に賛成の立場は維持する一方、「原発に頼らない町づくり」を掲げた。風力発電を稼働させ、観光による振興を模索し、町内融和に努めた。

 Q 現在の状況は?

 A 柏原氏の病気辞任に伴う22年の町長選は原発の賛否があらためて争点になり、「町の唯一の起爆剤」と訴えた推進派の西哲夫・元町議長が反対派候補との一騎打ちを制して当選した。他方で、原発建設までの振興策を中電に求め、使用済み核燃料の中間貯蔵施設が検討されることになった。

 Q 上関に原発ができる可能性はあるの?

 A 上関原発は原子炉設置許可申請まで手続きが進んでいる全国唯一の新規立地計画だ。国は原発の新規建設や建て替えに取り組む方向にかじを切ったが、「廃止決定した炉の次世代革新炉への建て替え」を優先する構えだ。中電は「従来通り建設を進める」との立場を崩していないが、工事再開の見通しは立っていない。23年の経済産業省の審議会「原子力小委員会」で、計画が長年進んでいないとして、新設原発に関する国の指定を「解除するべきだ」という意見も出た。(山野拓郎)

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