太平洋戦争末期、米軍が原爆投下の訓練として日本各地に落とした「模擬原爆」のうち、神戸市内の1発について着弾地点が今なお判明していない。「大都市でなぜ証拠が残されていないのか」。疑問に感じた地元の大学院生が山中で見つけた8個の金属片を手掛かりに、謎の解明に取り組む。
模擬原爆は長崎に投下された原爆「ファットマン」(重さ約4.5トン)とほぼ同じ形状。ずんぐりと丸みを帯びた形、オレンジ色の塗装から「パンプキン」と呼ばれ、通常火薬が詰め込まれていた。日本への原爆投下を見据え、担当する米軍の搭乗員らに実戦経験を積ませるため使用されたとされる。
終戦直前の1945年7月20日〜8月14日、福島県から愛媛県まで全国18都府県に計49発が落とされた。犠牲者は400人以上に上り、東京駅の八重洲口周辺に着弾したことも判明している。
極秘の訓練だったため、戦後も長らく詳細が知られていなかったが、1991年に愛知県の市民団体が国立国会図書館所蔵の米軍資料から投下場所の一覧表と地図を発見。各地の専門家らによる調査の結果、大部分の着弾地点が特定された。
だが神戸市、福島県いわき市、徳島県に投下されたとされる計3発については写真や証言が残っておらず、具体的な落下地点は不明のままだ。
「神戸のような大都市に着弾すれば被害に関する証拠が残っているはず。なぜ特定できないのか」。神戸大大学院生の西岡孔貴さん(27)は疑問を抱き、2022年から神戸に落とされた模擬原爆について調査を始めた。
神戸市には1945年7月24日に計4発の模擬原爆が投下された。このうち着弾地点が判明していないのは、同市の中心部近くにあった神戸製鋼所を狙った1発。「海に落ちた」との説もあるが、直接目撃したという証言を残した記録は見つかっていない。
西岡さんが神戸の空襲に関する史料を調べたところ、地元の警防団副団長だった男性の日記に気になる記述を見つけた。「製鋼所付近及び北方山中に投弾」。日付は7月24日。当時、米軍が撮影した航空写真と照合すると、確かに神戸製鋼所から約2キロの距離にある六甲山系の摩耶山中に着弾跡のようなものを確認できた。
全国の模擬原爆を長年研究する「空襲・戦災を記録する会」の工藤洋三事務局長(74)=山口県周南市=に協力を求め、2023年12月に金属探知機で現地調査したところ、地表や地中から長さ約5〜22センチの金属片8個を見つけた。
一帯は神戸大空襲で甚大な被害を受けており、模擬原爆の破片とは断定できない。西岡さんらは今年4月に「パンプキン爆弾を調査する会」を結成し、本格的な調査に乗り出した。工藤さんは「様々な世代の研究者と連携し、記憶をつないでいけるのはうれしい」と歓迎する。
6月には金属片が模擬原爆のものなのかを特定するため、他県に落とされた模擬原爆の破片などを試料として成分分析を民間会社に依頼。調査に必要な資金として、クラウドファンディングの仲介サイト「READYFOR(レディーフォー)」を利用し7月1日から今月29日までを期限に150万円を募っている。
調査によって神戸に投下された模擬原爆の着弾地点を解明できれば「残る2地点の解明に向けてノウハウを応用できる可能性がある」と西岡さん。「戦後79年となり、原爆投下につながった模擬原爆の歴史が忘れ去られないように記録を残したい」と話している。
(野呂清夏)
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