太平洋戦争中に沖縄を出港した疎開船「対馬丸」が米軍に撃沈され、学童ら1500人近くが死亡した事件から80年を迎えた22日、那覇市内では犠牲者を悼む慰霊祭や祈念式典が開かれた。参列した生存者や遺族らは「戦争は子どもから犠牲になる」などと語り、平和への思いを新たにした。
家族と共に当時乗船し、母やきょうだい4人を亡くした沖縄県西原町の宜志富紹心さん(91)。沈み出す船のマストにしがみついた後、いかだに乗って生き延びた記憶を振り返り「あまりにもむごく、戦争になったら何もかもなくなる」と平和を願った。
母ときょうだい4人を亡くした那覇市の友寄景徳さん(88)は「沖縄で自衛隊を増強する動きが不安だ」と険しい表情。
22日午後には、事件を後世に伝える役割を担い、開館20周年を迎えた「対馬丸記念館」で祈念式典が開催された。政府は船体の水中撮影などの再調査を検討する意向を既に示しており、自見英子沖縄北方担当相は「対馬丸の現在の姿の撮影や遺品の収集ができれば、記念館の質を高めることにつながる」と述べた。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。