石川県珠洲市宝立町(ほうりゅうまち)の会社員・谷内田(やちだ)宏幸さん=当時(65)=は、能登半島地震で避難していた自主避難所で1月、急逝した。心臓に持病を抱え、暖房で暖まった避難所から屋外の仮設トイレに向かった際、寒暖差で体調が急変した可能性があり、災害関連死に認定された。地震から7カ月以上がたったが、遺族の心の傷は癒えていない。(井上靖史)

遺影を手に「優しい人だった」と夫をしのぶ谷内田玲子さん=石川県珠洲市で

 妻の玲子さん(65)によると、谷内田さんは酒をほとんど飲まないが、遺伝的に高血圧や心臓の病気があり、発作時の治療のためのニトログリセリンなどが処方されていた。

◆ストレスや室内外の温度差影響か

 元日の地震発生時は玲子さんの姉が暮らす名古屋市へ、玲子さんとともに遊びに行っていた。地震発生後すぐに珠洲に帰ろうとしたが、道路寸断や持病の薬の調達などの必要があり、たどりついたのは1月4日。自宅が壊れていたため、近くの自主避難所に身を寄せた。  断水など厳しい状況が続いていた1月9日。避難所の運営責任者の助政(すけまさ)弘紀さん(64)は午後9時半ごろに「眠れない」という谷内田さんと言葉を交わしたのを覚えている。一年で最も寒い時期。各部屋と玄関にストーブがあった。  谷内田さんはその後、屋外の仮設トイレに行ったとみられ、30分後、玄関で倒れているのを別の避難者が発見した。心臓マッサージをしたが手遅れだった。死因は「虚血性心疾患」。ストレスや、室内と外の温度差が影響したとみられる。

谷内田宏幸さん(遺族提供)

 区長でもあった谷内田さんは人情味ある人柄で慕われた。4日朝に名古屋から避難所に到着した際、「すいません、遅くなりました」と駆け込んできた。先にいた避難者から「お帰り」と迎えられると、ボロボロと涙を流したという。

◆ふとした時「ああ、いないんだ」

 玲子さんによると、体調などを考慮してインフラが整う同県白山市の親類宅へ避難するよう親類から勧められたが、責任感からか「地域の人の生活にめどがつくまでは」ととどまった。  5月下旬に災害関連死に認定された谷内田さん。「優しい人で、ほとんど怒られた記憶がない。ふとした時、ああ、いないんだと思う」。玲子さんはそう寂しがり、携帯電話のカバーにはさんである遺影の写真をさすった。 

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