対外試合を行う車いすアメリカンフットボールチームのメンバー(中央2人)=6月、大阪府東大阪市

 「日本唯一」の車いすアメリカンフットボールチームが大阪・堺にある。創設者で監督の糸賀亨弥さん(52)が目指すのは「障害があってもなくてもアメフトができる」社会だ。メンバーは10人。障害の種類や程度、スポーツ経験などさまざまだが共に本場米国での試合を目標に掲げる。今年、初の対外試合を行い、実現に向けて進み出した。(共同通信=安部日向子)

 蒸し暑い6月中旬の午前、東大阪市のコートを車いすが風を切って走り抜けた。「追いつけん」と試合相手の天理大アメフト部の学生たちから悔しそうな声が漏れた。「アメフト経験者との試合、車いすでの試合はそれぞれ初めて。実りあるものになった」。糸賀さんは笑顔で振り返った。車いすアメフト普及に乗り出して十数年、道は少しずつ開けてきた。

 チーム創設のきっかけは2007年、天理大アメフト部の監督に就任してしばらくして起きた試合中の事故だった。1年生の部員が対戦相手との接触プレーで首を骨折。頸椎損傷で首から下にまひが残り、一生歩けなくなってしまった。

 「チームには戻ってこないだろう」。そう思った直後、裏方として加わりたいと申し出があった。選手でなくてもアメフトに取り組む姿に感銘を受けた一方、生徒の家族の「試合する姿が見たかった」という言葉が引っかかった。答えを求めた先は車いす競技だった。

 それまでパラスポーツは縁遠かったが、試合を見学し、選手に取材もした。転機になったのは取り組みが進む米国で初めて試合を見た時だった。戦略的にボールを運び得点するアメフトの特徴が車いすスポーツに生きていた。どんな障害があっても一緒に試合ができると確信したという。

 日本に戻り、競技の体験会などの活動を通して、ビジョンに共感した身体障害や知的障害がある人、介助者が集まり、チームができた。28年のロサンゼルス五輪でアメフトが起源のフラッグフットボールが公式競技入りしたことを追い風に、競技の普及、そして本場での試合を目指す。

 ◎車いすアメフトのルール例

 アメフトをベースとし対戦相手と攻守を交代しながら得点を競う。1チーム11人制のアメフトに対し、タックルなどの接触プレーなしの6人制、接触プレーありの7人制がある。使用するのはバスケットボールコートで、ルールも参加者の障害の程度によって変わり、ボールがキャッチできない人は体に当たればキャッチしたと見なす。

車いすアメフトチームを創設した糸賀亨弥さん
堺市

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。